驚異の美術館

森暁子の純粋な世界(3)

31歳の若さで早世した森暁子(森あきこ)さんの才能を惜しみ 彼女の遺作の一部を写真で紹介していますが、ユニークなイメージを イラスト作品からご覧いただきます。 さいごに遺作写真集「CHIBI」のカバーと 彼女の遺影です。

森暁子の純粋な世界(2)

ユニークな造形の才能を惜しまれながら31歳の若さで早世した 森暁子(もり あきこ)さんの作品を続けて紹介します。

森暁子の純粋な世界(1)

森暁子(もり あきこ)さんは31歳の若さで夭折した創作家だった。 絵画、イラスト、そして粘土人形で、たくさんの作品を遺した。 ニックネームがCHIBI(チビ)。 彼女の両親と友人たちが、作品を撮影して写真集を作った。 タイトルは“CHIBI”。 2…

新里猛(にいざと たける)

新里猛さんは、まだ若い油絵作家です。たしか28歳くらい。 とても幻想的な絵を描く画家で、はじめての個展が9月29日から10月5日の期間 福岡の大丸博多店で開催された。 といいながら、わくわく亭はその個展を観覧してきたわけでもない。 彼のお父さ…

土門拳の『風貌』(9)

新派の大女優水谷八重子さん。 1951年の撮影で、八重子さん46歳。 楊貴妃の顔をこしらえている楽屋で撮ったもの。 文句なしの美貌。 現代の二代目水谷八重子(良重)さんではない、初代の八重子さんである。 遠慮なく言わせてもらうが、二代目は、さほ…

土門拳の『風貌』(8)

田村俊子という女流作家がいた。 大正から昭和初期に活動した作家で、当時としては退廃的とか官能的とかいわれた小説で 一時もてはやされた。『木乃伊の口紅』{大正2年)が代表作といわれて、高校生のわくわく亭は どれだけ「退廃的」かと期待して読んで、…

土門拳の『風貌』(7)

劇団「民芸」の滝沢修さんである。 伝説的な名優といわれる新劇俳優であり、演出家だった。 1906年の生まれで2000年に没しているから、94歳という長寿だった。 土門拳さんがこの写真を撮ったには1951年だったから、滝沢修さんは役者として 脂が…

土門拳の『風貌』(6)

ぴっかぴかの光頭。 うるんだような眼、色の濃そうな唇。どこか先頃故人となった忌野清志郎さんの 面影に似ているような青白い肌。 作曲家 山田耕筰である。 撮影は昭和17年、つまり戦前で、山田さんが56歳のときである。 それ以来土門拳さんは山田さん…

土門拳の『風貌』(5)

川端康成、52歳の写真。 撮影は1951年の5月。1966年にノーベル文学賞受賞。 そして1973年74歳で他界。自殺だった。 若い頃は「新感覚派」と呼ばれる切れ味の鋭い文体で知られたが、研ぎ澄ませた刃物 を思わせるような表情である。 土門拳は…

土門拳の『風貌』(4)

志賀直哉が「小説の神様」なら、小林秀雄は「近代批評の神様」ということになろう。 1951年3月、49歳の小林秀雄を撮影した。 その夜は暴風雨だった。 書斎で机に向かっているところを撮影しようとしたところ、突然電気がきえて 家中が真っ暗闇になっ…

土門拳の『風貌』(3)

日本の私小説を完成したといわれる「小説の神様」志賀直哉である。 1951年6月に撮影した。68歳の「神様」である。 土門拳が撮影の準備をしていると、電話がかかってきたと呼ばれて、志賀直哉は 前のめりで駆けて行った。 あんなに全速力で走ると、転ん…

土門拳の『風貌』(2)

永井荷風である。 撮影日は1951年5月8日というから、荷風さんは72歳である。 彼が文化勲章を受章したのは、この翌年のことになる。 撮影場所は浅草の喫茶店「アンヂュラス」で、ストリップ小屋の「ロック座」の 楽屋から雨の中を、いつも携行してい…

土門拳の写真集『風貌』

先月、蔵書の整理をして、1000冊ほどの本を処分した。古書店に売ったものもあれば、 資源ゴミの日に出したものもある。蔵書の重量で床が傾いたり、ガラス戸や雨戸の開閉が しにくくなったために、造り付けの書棚を増築したりして、これ以上家が傾くのを…

満鉄ポスター展・作者不詳

「満鉄ポスター展」から作者不詳の2点を紹介する。 「朝鮮へ満州へ」 いまならば、お正月はハワイへ、GWは香港へ、と航空会社が宣伝するところであるが、 戦前の海外旅行といえば、韓半島から満州への船旅を宣伝したものである。 当時の航路は、神戸港ー…

満鉄ポスター展・真山孝治

「満鉄ポスター展」に出品された16点の中に、真山孝治の「民族衣装の女性」がある。 真山孝治(1882~1981)岩手県室根生まれの洋画家である。 明治15年の生まれであるから、伊藤順三より8年の先輩である。 1897年東京美術学校日本画科入学…

伊藤順三(3)

「満鉄ポスター展」から伊藤順三の作品を紹介している。 3点を合わせて展示する。 「高脚踊り」 「仮面踊り」 「満州上流夫人」 伊藤順三は明治23年(1890)に生まれ、昭和14年(1939)に49歳で没している。 上野にあった「小河屋」という呉…

伊藤順三(2)

「満鉄ポスター展」から伊藤順三の作品を紹介する。 1930年制作の「玉の頭飾りの女性横顔」。 これもまた鉄道ポスターの収集家中村俊一郎さんの所蔵である。 (中村さんのコレクションを紹介するブログがあるから、鉄道ファンの方には興味があるだろう。…

満鉄ポスター展・伊藤順三

南満州鉄道(満鉄)の元社員たちでつくる「満鉄会」が開催する「満鉄ポスター展」。 一般公開は23日の午前11時から正午までの、わずか一時間というから、 会場の港区高輪ホテルパシフィックまで行くことはできない。 同会のHPから伊藤順三、真山孝治ら…

狐者異(こわい)

狐者異と書いて「こわい」と読ませる。 人間の高慢強情のことだという。 生きているうちは法を無視して人のものを取り食らい、死んだ後は 妄念執着の思いを引いて、さまざまな形になって世の妨げをなす、という。 要するに、死んだ人間の妄念執念が形となっ…

野宿火(のじゅくび)

きつね火にもあらず、 草原火にてもなく、 春は桜がり、秋は紅葉がりせしあとに、 火もえあがり、 人のおほくさわぎうた唱ふ声のするは、野宿の火といふものならん。 なかなかに情緒のある竹原春泉の文章なので、引用した。 田舎道、街道、山の中などどこに…

寝ぶとり

この図を『百物語』ではなくて、浮世絵の一枚だといわれたならば、「女相撲取りの昼寝」 でもあろうかと思っただろう。 「寝肥」(ねぶとり)という女の病気であると絵師は云っている。 たしかに、アメリカなどに、身動きできないほどに体重がふえてしまい、…

二口女(ふたくちおんな)

日本各地に、このような頭の後ろ側にも口があって、二人分の食事をする女の怪異談は 伝えられているようだ。食糧難の時代には、空腹を抱えた嫁が家族に隠れてものを食う、 というのを、口が二つある化け物の話にして言いふらし、嫁いじめに使った場合もあっ…

歯黒べったり

東国では「のっぺら坊」ともいう。 《ある人、古き社の前を通りしに、 うつらかなる女の伏し拝み居たれば、 戯れ云いて過ぎんとせしに、 かの女の振り向きたる顔を見れば、 目鼻な口ばかり大きくて、けらけらと笑ひしかば、 二目と見るべきやうもなし。》 の…

小豆洗(あずきあらい)

あずき洗い。 この妖怪を有名にした功績は水木しげるさんにある。 水木さんの妖怪「小豆洗い」は下図の通りで、出典がこの竹原春泉斎の『絵本百物語』 であることは明らかである。 水木しげる妖怪大図鑑から小豆洗いの説明を引用する。 《「小豆洗い」 別 名…

風の神

《風にのりて所々をありき、人を見れば 口より黄なるかぜを吹きかくる。 其のかぜにあたればかならず、疫傷寒をわづらふ事とぞ》 風の神とはいっても、俵屋宗達の『風神雷神』に描かれた風をつかさどる神とは ちがって、「風邪」の神のようである。 解説にい…

鍛冶が媼(かじがばば)

三匹の狼が、アクロバットのようなオオカミ・ピラミッドをつくり、てっぺんに 大きく口が裂けた老婆をのせている。 怖いというより、オオカミたちがひっくり返らないよう懸命に婆さまを支えていて、 健気である。下のオオカミの顔なんか、かなりしんどそうで…

山地乳(やまちち)

『絵本百物語』から1枚目は「山地乳」です。 本文にはこうある。 《このもの人の寝息を吸い、あとにて其の人の胸をたたくと、ひとしく死すとなり。 されどもあいねまの人、目をさませばかへりて命ながしといふ。 奥州におほく居るよしいひつたふ。》 山ちち…

『絵本百物語』

古書店で竹原春泉斎(たけはら しゅんせんさい)の『絵本百物語』を手に入れた。 春泉斎は江戸時代、寛政から文化年間の絵師とされているが、生没年ははっきりしていない。 およそ、1775年前後~1850年以降までの人らしい。 ほぼ葛飾北斎(1760…

富岡永洗

富岡永洗(1864~1905)という画家については知識がなかった。 わくわく亭の仕事場は東京の京橋2丁目ですが、ちかごろ銀座東や築地あたりを昼間散歩していて、 歌舞伎(歌舞伎座がちかいせいで)関連本とか美術雑誌をたくさん置いている古書店をのぞ…

生人形(いきにんぎょう)

「生人形」とは、まるで生きているようにリアルな人形細工のことです。 江戸末期から見世物として出発した歴史があるせいか、近代にはいっても正統な芸術品(彫刻)と みなされず、愛玩目的の「お人形さん」という置物の地位に甘んじてきたのです。 現代もま…