2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧
土本典昭の「市民戦争」のビデオが見たいとブログに書いたところ、思いがけないことに、 土本基子夫人からコメントを頂いた。夫人によれば、川崎市民ミュージアムでビデオが閲覧 できるということなので、早速今日の午後行ってきた。 「市民戦争」は25分の…
記録映画作家土本典昭(1928年~2008年)といえば水俣の記録が真っ先に思い浮かぶ。 尾道の駅前と駅前から近い海岸にあった、戦後の闇市の名残である「国際マーケット」の ことを調べていて、土本氏の「市民戦争」という日本テレビの「ノンフィクシ…
「図書新聞」6月29日号の同人誌時評を澪標の松村氏が送ってくれた。 評者は志村有弘氏。作品はわくわく亭が『別冊関学文芸』46号に発表した「中橋稲荷の由来」。 トップの扱いがありがたい。
尾道市立図書館は、現在中央図書館という名前で尾道市東久保町4番1号の地にある。 そこはそれ以前には市民病院が建っていた場所である。 尾道市立中央図書館が公開している資料では、図書館の沿革が次のように記されている。 明治39 (1906)年 8月…
尾道からの帰途、姫路から姫新線に乗り換えて本竜野へ行った。 赤とんぼ荘で「酩酊船」の最後の合評会があった。 翌日藤井さんのお薦めもあって、藤岡さんの運転する車で、国の重要文化財に指定されている 永富家を見学に行く。 永富家は17世紀の初めころ…
わくわく亭が尾道市立大学で「尾道学入門」の講義をしたのは5月23日だった。 今週大学から受講した学生たちのミニレポートのコピーが届いた。 受講生の数はおよそ340名。みんな4月に入学したばかりの1学年である。 10分間で講義の感想をA5用紙1…
映画黄金期、全盛期が昭和30年~33年ころとして、それからわずか4年後の37年には 太陽館はスーパーに、尾道セントラル劇場は市の福祉施設に変わっている。祇園座、尾道劇場 スバル座、玉栄館などの名前は姿を消している。 残ったものといえば、久保千…
光がユスラウメを通過しているみたいな輝きです。 ぷりんぷりん。 食べてやらないと、明日には地面に落ちるだろう。
わくわく亭の記憶に照らしてみて、尾道千日前に日活と東宝の上映館があったはずなのだが。 昭和33年の雑誌「伸びゆく観光尾道」に掲載された千日前映画街による広告には、興栄座が 「日活・東宝封切館」となっている。たしかに、それまで出遅れていた日活…
昭和30年代に迎えた日本映画の黄金期。当然映画館の数は激増した。 映画館は競争に勝ち抜くためには、映画製作会社と専属契約を結んでフィルムの安定配給を必要とした。 製作会社は6社あった。東宝、松竹、大映、東映、日活、そして新東宝。このうち新東…
尾道の映画館の歴史を、ここで整理してみる。 先ず演芸場時代の資料を見る。大正13年の尾道地図。ここに防地口の太陽館、久保の玉栄館、新開の 偕楽座、そして西御所町の尾道劇場が出ている。これらが映画常設館となる。 偕楽座は尾道セントラル劇場となり…
楽日の2日、真夏座の「見えない船に乗って」を観劇した。 会場はいつもの後楽園駅前にある文京シビックホールの小ホール。 脚本はまだ二作目という前進座俳優志村智雄の書き下ろし。 前半はほんわかとした家族劇で主人公の突然死で中休み。後半は主人公が幽…
昭和21年尾道駅前に第一劇場が誕生する。 旅館鶴水館があった土地およそ160坪に第一劇場が建てられた。 第一劇場は11月に開場すると、芸能の興行を打つ。 11月には、関西新派一座の公演、天光軒満月襲名披露の浪曲公演、京都少女歌劇公演がある。 …