2007-06-01から1ヶ月間の記事一覧
わくわく亭は本を読むときに、ボールペンが欠かせない。傍線をひいたり、余白に書き込みをするからです。 家の中でなら、筆記用具はなんなりと手近にあるからいいけれど、とくに乗り物に乗って本を読むときの話です。 電車や地下鉄の中で文字を書くには、ノッ…
5月23日の雑記に、わくわく亭の庭の梨の木に実が5つなったことを、自慢げに書いています。 なにしろ、肥料をやったわけでもないけれど、10数年も花は咲かないし、若い木を買ってきて、それ も梨とリンゴの木を買ってきて、どちらがどちらかも分からぬ…
大泉学園の駅近くに古書店“ポラン書房”が店舗を移しました。 それまでは関越道に近いバス停“住宅前”のそばにあって、こんな場所で古書店が、よくがんばってるな、と感心するとともに、閉店することなく続いてほしいな、とわくわく亭はおもってみていたのです…
写真は改装したINAX・GINZAの外装写真です。建物の角を直角に装飾タイルで仕上げたものです。 写真は入り口側と、側面の2枚ですが、側面の写真は全体を撮っていません。あいにく、駐車していた白いワゴン車が邪魔をしていたものだから、1/2くら…
小説を書いていて、登場する人物のほとんどは架空のものだから、読者から、その人物が現実にいたと聞かされて、「うっそー。ほんとなの」と驚くことがあるんです。 僕の『尾道物語・純情篇』におさめた「アイスキャンデー屋の二階」は、ある映画館のすぐわき…
わくわく亭の仕事場は京橋にありまして、大泉学園からは西武線で池袋に出て、有楽町線の銀座一丁目まで地下鉄を利用します。 前方の出口から地上に階段を上がると、中央通りを横切っている東京高速のむこうに、京橋交差点がみえます。地上出口から仕事場まで…
わくわく亭雑記の「大田南畝」コーナーに連載していた『大田南畝という快楽』が9回で、ついに完結しました。わくわく亭が好きだという江戸時代の狂歌師って、どんなひとだったのかな、とちょっとだけ、ついでにのぞいてみてください。結構いけてるとおもう…
秩父の梅の実について書くことにしていたのですが、いきなりそれから書いたっておもしろくないな、と思っていたところ、諷刺漫画の横山泰三さんが亡くなったというニュースを聞いたので、これを書くことにしました。 泰三さん→隆一さん→フクちゃん→秩父の梅…
―雪もこんこん花もさけさけ― 長崎から江戸にもどって、それまでやもめだった南畝は、門下の島田順蔵の娘お香を妾にむかえました。還暦をまえにして精力的な南畝です。そしてお香との間に娘をもうけています。 60歳の年の12月から翌年の4月まで、玉川流…
父の日が6月の第3日曜日だと、ご存知でしたか? たしかに近年日本でも父の日にプレゼントを贈ろうというキャンペーンをデパートなどがやっていますが、母の日ほどポピュラーではないでしょう? わくわく亭には息子が2人おりまして、彼らから父の日のプレ…
―《蜀山人》寛政期からの南畝― 寛政元年(1789)には、南畝は41です。 平均寿命が45歳くらいの時代ですから、普通の人であれば、41歳は彼の人生の終末です。 ところが、南畝という人がもっている精神の柔軟さは、挫折することなく、つぎの時代を生…
―南畝の危機― 狂歌人気の絶頂期にいた天明7年、すなわちお賤(しず)を身請けした翌年、39歳の南畝はとつぜん狂歌界と絶縁します。 それは幕府内の政変が大きく関係しています。 積極経済の政策をすすめていた老中田沼意次が失脚したのです。かわって、松…
きのうは横浜へ行ってきました。 桜木町で、昼間は雑誌「酩酊船」合評会。夜は「ヨコハマ前田友の会」です。 「前田友の会」というのは、1998年に亡くなった松竹の映画監督、前田陽一さんのファンのつどいです。 前田監督は横浜に長く住んだことがあって…
―愛妾おしず― そうした狂歌集におさめられた歌とは、おもむきの異なった恋の歌がいくつかあります。 真情が吐露されたシリアスな歌です。 をやまんとすれども雨のあししげく 又もふみこむ恋のぬかるみ 小やみになったかな、とみえた雨脚はまたもつよい降りと…
―《四方赤良》天明期の南畝― 狂歌の作者たちはみんな面白い名前をつけました。狂歌ばかりか名前まで滑稽でパロディー化したのです。滑稽な狂歌名をもつことで、身分制度にしばられた現実の自分から抜け出して、笑いにみちた虚構の世界で自由を獲得しようとし…
ケータイの着信音がしている。 朝の通勤バスの中である。 おや。僕はあたりを見回す。 中年の男性が、ケータイを手で隠すようにしながら返事している。 「もしもし。いまさ、バスの中だから……」 (おかしくもなんともない) ケータイの着信音がしている。 朝…
―山手馬鹿人― 南畝は17歳で御徒となりました。20歳には大田家の家督を継ぎましたから、一家の生活の苦労を彼が担うことになりました。さぞや、うんざりしたことでしょう。 彼は御徒の職にあきたらず、学問で身を立てるつもりでいたでしょうが、身分制の…
―《寝惚先生》安永期の南畝― 大田南畝は、いまからおよそ250年前の1749年、江戸の牛込仲御徒町に生まれました。今日の住所表記では、新宿区中町です。JR市ヶ谷駅から神楽坂を上がったあたりになりますね。 亡くなったのは1823年で、約180年…
僕の本『尾道物語・純情篇』を手にしながら、小説の背景になった場所を、すべて巡ってくださったという女性から電話をいただきました。 山口さんは友人と二人で、いかれたそうです。 山口さんは僕とおなじ高校の後輩で、詩を書く人です。 『尾道物語・純情篇…
わくわく亭が住んでいる大泉学園町は、いまネズミの被害に悩まされています。どの家でもネズミが出没して、天井裏や床下を走りまわるばかりか、人が居ようとおかまいなしに、居間を横切り、階段を上り下りして、柱を傷つけ畳は咬むし、仏壇を荒らし、台所は…
―伝説の中の蜀山人― すこし古いテレビ時代劇で恐縮ですが、M電器が提供していた「大江戸を駈ける 怒れ!求馬」という番組がありました。 南町奉行所の年若い同心が主人公。彼の祖父が町奉行で、奉行の親友が大田蜀山人、という設定。 今は亡き植木等さんが…
10日の記事につづいて、きのう届いたばかりの、詩人中野朱玖子さんからの評も紹介させてください。中野さんは今年第3詩集『詩苑物語』を角川書店から出されたばかりですが、平成16年には第2歌集『乱 鈔掠』(角川書店)を出しておられて、俳句、短歌、…
僕わくわく亭の小説『文政6年の花の雲』(「酩酊船」22号)についての評が「文学界」7月号にでています。文芸評論家勝又浩さんの評です。 「……『文政6年の花の雲』が面白かった。異界話や蘇生譚に引きつけられて行ったらしい蜀山人・大田南畝の晩年をよ…
大田南畝(おおたなんぽ)というユニークな江戸の詩人の生き方、仕事ぶりをながめながら、江戸文化の成熟さを味わいたいと思って、この『大田南畝という快楽』というタイトルをつけました。 南畝の代表芸はもちろん江戸狂歌です。狂歌がどんなに面白い文芸ジ…
人気作家の藤沢周平さんが享年69歳で亡くなったのが平成9年1月だったから、気がつくとあれからもう10年が過ぎたことになります。 藤沢さんが、僕とおなじ練馬区大泉学園町の住人だということは週刊誌のグラビア記事などで知っていました。ただ同じ町と…
東京の盛り場で、近年尾道ラーメンののれんや看板を見かけることも、めずらしくなくなった。 先日も横浜の桜木町へでかけたとき、駅近くの商店街で2軒の尾道ラーメン店をみつけ、これはもう、かつての札幌ラーメンのブームに匹敵する大人気になるのではと、…
大泉学園にある「帯広ラーメン・ロッキー」をご存知ですか? 知る人ぞ知る(当たりまえのこと?)人気ラーメン店ですよ。東映撮影所の一郭にシネコンができて、建物の一階にいくつかの飲食店がはいっているのですが、その中に「ロッキー」があります。 ラー…
ある書評専門サイトのために、西原理恵子(さいばらりえこ)さんの『上京ものがたり』(小学館)の書評を書くつもりでいたのですが、いまだサイトの管理者との約束を果たしていません。ごめんなさい。 その書評サイトが要求している書評とは、しかるべき文筆…