尾道の映画館とその盛衰

尾道の映画館

数年前に尾道映画資料館へ立ち寄ったとき、市内の映画館の変遷に関する資料が あったので写真を撮ってきた。館名がたびたび変わっているので、自分の記憶を訂正 したり、新たに知り得たこともあった。

しんがいの未来を考える会

「しんがいの未来を考える会」という地域再活性化に努力する人たちがいる。 代表者:城間和行 住所;尾道市久保3丁目7-7 0848-37-8480 そのホーム・ページ「尾道新開Web」に尾道の映画館についての記事があったので、 書き留めておく。 …

尾道の映画館とその盛衰(6)

映画黄金期、全盛期が昭和30年~33年ころとして、それからわずか4年後の37年には 太陽館はスーパーに、尾道セントラル劇場は市の福祉施設に変わっている。祇園座、尾道劇場 スバル座、玉栄館などの名前は姿を消している。 残ったものといえば、久保千…

尾道の映画館とその盛衰(5)

わくわく亭の記憶に照らしてみて、尾道千日前に日活と東宝の上映館があったはずなのだが。 昭和33年の雑誌「伸びゆく観光尾道」に掲載された千日前映画街による広告には、興栄座が 「日活・東宝封切館」となっている。たしかに、それまで出遅れていた日活…

尾道の映画館とその盛衰(4)

昭和30年代に迎えた日本映画の黄金期。当然映画館の数は激増した。 映画館は競争に勝ち抜くためには、映画製作会社と専属契約を結んでフィルムの安定配給を必要とした。 製作会社は6社あった。東宝、松竹、大映、東映、日活、そして新東宝。このうち新東…

尾道の映画館とその盛衰(3)

尾道の映画館の歴史を、ここで整理してみる。 先ず演芸場時代の資料を見る。大正13年の尾道地図。ここに防地口の太陽館、久保の玉栄館、新開の 偕楽座、そして西御所町の尾道劇場が出ている。これらが映画常設館となる。 偕楽座は尾道セントラル劇場となり…

尾道の映画館とその盛衰(2)

昭和21年尾道駅前に第一劇場が誕生する。 旅館鶴水館があった土地およそ160坪に第一劇場が建てられた。 第一劇場は11月に開場すると、芸能の興行を打つ。 11月には、関西新派一座の公演、天光軒満月襲名披露の浪曲公演、京都少女歌劇公演がある。 …

尾道の映画館とその盛衰(1)

昭和30年前後、最盛期を迎えていた映画館が、それから数年後には、 つぎからつぎと姿を消していった。 尾道には現在駅前で、かろうじて映画上映館の灯を消さないように頑張っている NPO法人「シネマ尾道」が一館あるのみとなった。 あの当時の映画館は…