高麗神社の作家たち

高麗神社の作家たち(7)

(自宅でくつろぐ檀一雄) 檀一雄と坂口安吾が、高麗神社に参拝したのが昭和26年の10月18,19日だった。 その頃安吾の神経は小康状態だったのだろうが、睡眠薬として常用するアドルムのために精神の 錯乱状態を呈することがあった。 11月4日、これ…

高麗神社の作家たち(6)

坂口安吾、檀一雄、(文藝春秋の)中野の3氏は昭和26(1951)年10月18日に埼玉県日高市にある高麗神社へやってきた。 安吾のエッセイ『高麗神社の祭の笛』に神社到着のシーンがこう書かれている。 出発がおそかったので、コマ神社に到着したのは…

高麗神社の作家たち(5)

写真は坂口安吾。 坂口安吾は小説のほかに、日本の歴史や風俗文化に材を得た独創的エッセイを多数書いている。 のちの松本清張の現代史、古代史研究や、司馬遼太郎の「街道を往く」シリーズに先鞭をつけたものといえるだろう。 安吾が高麗神社に檀一雄ととも…

高麗神社の作家たち(4)

高麗神社から徒歩5分の距離に聖天院という寺院があり、高麗王若光とその一族の菩提寺です。 若光の廟もあります。 正式な山号寺号は「高麗山聖天院勝樂寺」ともうします。 国難を避け高句麗から渡来した若光に従ってきた、侍念僧勝樂によって開基しました。…

高麗神社の作家たち(3)

本殿の扁額である。 本殿の石段下の中庭に、この歌碑がある。 民俗学者であり作家でもあった折口信夫は、歌を詠むときは「釈迢空」の名前をつかった。 歌碑の歌は万葉仮名がつかわれているので、読みにくい。 写真をズームアップしてみると、つぎのように書…

高麗神社の作家たち(2)

高麗(こま)神社について説明をしておこう。 高麗とは朝鮮の高句麗(こうくり)のことです。 UPした写真は神門ですが、掲げられている扁額(へんがく)には、はっきりと「高句麗」と書かれています。 この神社がユニークなのは、日本人が祭神ではないこと…

高麗神社の作家たち(1)

連休さいごの5月6日、わくわく亭は女房と、高麗神社(こまじんじゃ)へお参りした。 高麗神社は埼玉県日高市にある。 連休最終日であり、時間も午後の3時半ごろで、観光客はほとんどいないのだった。 西武鉄道で飯能駅へ向かい、秩父行きに乗り換えて2つ…