驚異の美術館

横尾忠則『Y字路』(8)

「Y字路」からの紹介は、これを最後の一枚にします。 2003年制作の「不眠の夜」です。 眠れない夜に見た景色、それはうとうとしながら見た夢の中の景色だったのだろうか? しかし、こんなまばゆい景色なんて、悪夢だよ。こんな夢を見ていて眠れっこない…

横尾忠則『Y字路』(7)

「とりとめのない彷徨」という題がつけられた2002年の作品。 左の道を、十字架を肩に背負って、ひきずりながらやってくるのはイエスではないか。 いや、中央上部にカメラマンと監督がいるから、映画の撮影中であり、やってくるのは、イエス役の 役者とい…

横尾忠則『Y字路』(6)

原節子さんが出たから、つづいて小泉純一郎元首相である。 この「Y字路」は2001年の制作で、「暗夜光路」シリーズの中の「光と闇の帝国」という タイトル。 左半分が昼の道であり、右半が夜の闇である。 中央に見えるのは小泉純一郎さんの選挙応援ポス…

横尾忠則『Y字路』(5)

横尾忠則の作品には、まことに多様な技法が大胆に取り入れられているが、この作品などは、横浜の 中華街と思われる風景写真と、往年の人気女優原節子さんのブロマイドをベースにして描かれた、 これも画家の意図がどこにあるのかと、見るものを考えさせる絵…

横尾忠則『Y字路』(4)

この「Y字路」には「TとRの交差」というタイトルがついている。 TとRが何のイニシャルなのかわからない。汽車が接近しているし、路上に止まれの文字が描かれている ところから、画面の右手に踏切があって、それを意味したイニシャルかとも推理するのだ…

横尾忠則『Y字路』(3)

〈トワイライト・タイム Ⅱ〉という2003年の作品。 トワイライトとは薄暮とか、たそがれ時のことである。 むかし、白黒テレビの時代に、アメリカ制作番組で「トワイライト・ゾーン」というのがあった。 たしか1本が30分の短い作品で、怪奇現象、超常現…

横尾忠則『Y字路』(2)

〈暗夜光路 N市ーV〉と作品名をもつ2000年作の「Y字路」である。 背景は漆黒の闇夜である。 光を与えられたY字路の先端が、闇を裂く船首のように立ち向かってくる。 しかし、その奥はどうだろうか。 どちらの路を選んだとしても、すべては、かなたの…

横尾忠則『Y字路』(1)

横尾忠則の芸術全体について語るのが目的ではありません。 そうするためだったら、『横尾忠則グラフィック大全』をひもといて、変幻自在の横尾マジックを楽しめばいいのですが、いまはそれよりも、先週銀座東の、近頃わくわく亭お気に入りの美術古書店で手に…

イヴ・サンローラン(6)

この回をもってイヴ・サンローラン最終回としますが、ここで彼の肖像をUPします。 彼はモード作品だけでは自己表現にあきたらず、自らの顔、肉体の露出をしています。 それで思い出されるのは、三島由紀夫です。彼もイヴのように幼少期は虚弱で貧弱な身体…

イヴ・サンローラン(5)

パリのオートクチュール・コレクションに、世界が注目するのはファッションだけではなく、それを身にまとって披露する優美で繊細なモデルたちでもある。 イヴ・サンローランといえば、この人の名前がすぐにあがる。 フランスを代表する女優カトリーヌ・ドヌ…

イヴ・サンローラン(4)

イヴは1936年に当時はフランス領であったアルジェリアのオランという処で生まれました。 両親は保険業だったとか回漕業をしていたとかで、あるいはその両方を営んでいたのでしょう。 幼児期は虚弱体質で、そのためいつも家の中で2人の姉妹と、お絵描き…

イヴ・サンローラン(3)

イヴのデザインの才能は様々な芸術家から刺激と触発をうけて、斬新な色彩を使ったモードをうみだしていますが、なかんずく、マチス、ピカソ、ブラックといったキュビズムの巨匠たちからの影響は顕著のようです。彼らをモチーフにしたオートクチュール作品を…

イヴ・サンローラン(2)

この目もまばゆいばかりの原色で描かれたクロッキーは、イヴの友人であるジジ・ジャンメールのレヴュ ー『スルタン』のために描いた舞台のイメージである。(1972年) イヴは崇拝するジジに、こんな言葉をささげている。 マドモアゼル・ジャンメールは輝…

イヴ・サンローラン(1)

イヴ・サンローランはいわずとしれた世界的なファッション・デザイナーです。 わくわく亭はファッションの門外漢ですから、彼のファッション作品をUPしようなどという 大それた野心は毛頭ありません。 たまたま入手したごらんの文献「MODE1958-1…

木村伊兵衛(12)佃島

木村伊兵衛の傑作は、まだたくさんあって、パソコンに収納してあるのですが、ひとまずこれをUPし て、おしまいにします。また後日第二部として紹介することにしましょう。 作品のタイトルは「佃島にて」です。 東京湾に突き出た佃島に、チンドン屋が来たの…

木村伊兵衛(11)荷風

晩年の永井荷風です。 木村伊兵衛がこの写真を撮ったのは1954(昭和29)年ですから、荷風は75歳です。 その前年に文化勲章を受章。 撮影は千葉県市川市菅野の自宅でしょう。日記をつける以外に、文芸作品は書かなくなっていました。 午後には裸の踊…

木村伊兵衛(10)鏡花・弴

泉鏡花と里見弴です。1938年の撮影で、鏡花の家で撮ったそうです(おそらく東京の番町)。 写真作品としては、平凡な出来だと思います。 しかし、泉鏡花(右)は稀代の写真嫌いだったそうで、こうした写真を撮ったと言うだけで、お手柄だったのだと写真集…

木村伊兵衛(9)上村松園

日本画家の上村松園(うえむらしょうえん)です。 1939年の撮影で、松園は64歳。気品あふれる美人画を生涯描き続け、文化勲章を受章した最初の日 本人女性だった。 1875(明治8)年京都の「ちきり屋」という葉茶屋さんの次女として生まれ、京都の…

木村伊兵衛(8)志賀直哉

映画俳優の肖像写真じゃありません。 小説家の写真です。日本には、かつて、こんないい顔の作家がいたんです。 (近頃では、これほどの風貌をした作家を見かけなくなりました) 「小説の神様」志賀直哉を撮った写真は数々あります。 しかし、この木村伊兵衛の…

木村伊兵衛(7)東京下町

東京都現代美術館が主催した『水辺のモダン―江東・墨田の美術』展のカタログでみつけた、二枚の 木村作品がある。 どちらも1953(昭和28)年の作品で「江東界隈」の表題がある。 マンガや映画で人気を集めている『三丁目の夕陽』が昭和30年代の東京…

木村伊兵衛(6)東京下町

紙芝居(1932年) 東京の街頭風景の一枚。昭和7年である。 紙芝居を見ている子供たちの表情を撮った写真は、たくさんある。写真家たちにとって、格好の被写体 だったであろうから、どの写真家も撮った。 子供たちの飾らない、ありのままの表情が無警戒…

木村伊兵衛(5)沖縄

「墓場」と題した作品。(1935年) 季節は夏らしい。墓参する家族に夏の陽が降り注いでいるようだ。こどもの帽子がちょっとのぞいている。 しかし、墓石が林立する墓地を見慣れたわれわれには、ここが「墓場」だと聞いて、にわかには信じが たい。 コン…

木村伊兵衛(4)秋田

添い寝する母と子(1959年) 家事と畑仕事に、休む暇もない母親は、あわただしく乳を子に与えながら、横になることもできない。 すでに食事の用意は整った。間もなく大勢の家族が集まってくるから、それまでに、幼子を寝かしつけて しまうつもりなのだろ…

木村伊兵衛(3)秋田

秋田おばこの写真。(大曲で撮影) 有名なこの作品は木村伊兵衛の作品集や展示会のポスターにも使われている。 こちらは「秋田の妖花」です。 まあたらしい菅笠にたすきがけの衣裳は、なにか祭礼の装束ではないか。 木村伊兵衛さんは1952年に日本の農村…

木村伊兵衛(2)沖縄

木村伊兵衛さんの女性を撮った作品は、「妖花の木村伊兵衛」といわれるほど、女性の艶美をとらえた秀 作が多い。 この「沖縄の女」と題した1935年の作品は、木村さんの初期の代表作とされている。 別な資料では、この作品名が「那覇の芸者」となっている…

木村伊兵衛(1)沖縄

木村伊兵衛(きむらいへえ)、写真家(1901~1974)。 日本の近代写真史上(といっても、日本の写真の歴史には近代しかないのであるが)、木村伊兵衛は土門拳とともに、もっとも重要な写真家の名前としてあげられる。 そして、写真家として、決して…

ガンダーラの仏頭

ガンダーラから出土した仏頭です。 なんという気品に満ちたお顔でしょうか。 漆喰の塑像だけに壊れやすいもので、頭部だけがこうして日本に伝わっています。 左の耳たぶが半分欠落していますが、お顔の気高さを損なうものではありません。 頭頂にある肉けい…

訃報・片岡球子画伯

文化勲章受章者である日本画家の片岡球子さんが、今月16日急性心不全のため、103歳で亡くなりました。 この「驚異の美術館」で代表作のほんの一部を紹介しておりましたので、訃報をお伝えして、ご冥福をいのります。 ここに掲げました作品は、代表作の…

ルイス・C・ティファニー(5)

「風景のパネル」です。全図と部分図です。 1900年ころの制作。 201x97cmのサイズ。 夕陽に焼けた空のうつくしいこと。

ルイス・C・ティファニー(4)

ルイス・ティファニーのランプを3点ならべてみます。 1点目は、「蜻蛉文テーブル・ランプ」 1900~1910年ころの制作 脚部(ベース)はブロンズ製。 高さ81cm、シェードの直径56cm。 2点目は、「蜘蛛の巣文テーブル・ランプ」 1900~…