2012-07-01から1ヶ月間の記事一覧

『尾道物語・旅愁篇』カバー・コンテスト

今秋発売予定の小説集『尾道物語・旅愁篇』(澪標)のカバーデザイン3案が出来てきました。 装丁者は倉本修さんです。 A,B,Cの3つの中から、どれがいいか、ご意見をお聞かせ下さい。 収録作品はつぎの6篇です。作品内容を「あとがき」から簡単にご案…

看板の文字

バスが停留所に止まった。 停留所の真ん前にペットショップがある。 わくわく亭の前の座席に座っている男の子、幼稚園児か小学1年生くらいなのが、POP広告 を読んでいる。 「においが○になる…」○は漢字の「気」で、彼には読めなくてとばしている。 「マ…

志賀直哉と尾道遊廓(12)

わくわく亭はまるで失踪者の調査をする私立探偵のように、古地図や古写真を並べては大正時代の 尾道における志賀直哉の足跡を追いかけている。 大正2年4月に尾道を見捨てて、東京へ戻り、父親と和解したのだから、このシリーズも終了 するのだが、最後にな…

志賀直哉と尾道遊廓(11)

前回のシリーズ(10)で終了したのであるが、ブログ友達から教示があって、大正期の尾道駅の 写真がみつかった。志賀直哉が大正2年4月に尾道から帰京するために汽車に乗ったのは、この 写真に写った停車場からだった。 (10)に掲載した写真の尾道駅は…

志賀直哉と尾道遊廓(10)

「志賀直哉と尾道遊廓」シリーズは(9)で終了するつもりでいたところ、また一枚面白い 写真があったので、これについて話をする。 本シリーズ(6)のつづきと思ってもらいたい。 写真は大正13年以前に撮られたもので、その根拠は、その年に焼失した芝居…

志賀直哉と尾道遊廓(9)

志賀直哉の尾道時代のことを調べてみながら、文学とは距離のある俗談に終始したのだが、 俗談ついでに、尾道遊廓の揚げ代について書いておこう。 『暗夜行路』には、東京、京都、尾道、道後など各地の華街で遊蕩する様子が描かれている。 ときどき金銭のこと…

志賀直哉と尾道遊廓(8)

大正4年4月、中国実業遊覧案内社が発刊した『尾道案内』(吉田松太郎編集)という本がある。 その中に、当時の久保遊廓と、新地の芸者券番(検番)のことが出ている。 大正4年発刊とすれば、大正元年11月から翌2年4月までの尾道滞在時代に志賀直哉が …

志賀直哉と尾道遊廓(7)

ここで大正元年ころのお金と物価の話をしてみたい。 志賀直哉が尾道にやってきた大正元年の尾道の物価を考えてみるのも面白い。 『暗夜行路』やその草稿に書かれている物価や料金を、現代のそれと比較してみたいと思う。 もちろん志賀直哉の懐具合もあわせて…

緑川洋一

7月5日に友人たちと銀座へ出て、「写真のまち尾道四季展」の入選作品を見た。 そのときに貰ったパンフレットの中に、尾道市立美術館で7月7日~9月2日まで 開催される緑川洋一の写真展「波の郷愁」のパンフレットがあった。 緑川洋一(1915~200…

志賀直哉と尾道遊廓(6)

大正時代の地図を見ながら、前回新地の劇場「偕楽座」と「竹村家」に触れたので、 ついでに『暗夜行路』に、この2つの場所が出ているのを思いだしてもらうとしよう。 地図をもっと拡大する。 中央に新開の仲之町がある。その右下の方角に「偕楽座」がある。…

志賀直哉と尾道遊廓(5)

志賀直哉の『暗夜行路』については、「暗夜行路草稿」が岩波の全集に収められており、前回引用した 本多秋五の『志賀直哉』(岩波新書)にも、その「草稿」から頻繁に引用されているのは、「草稿」は ほとんど志賀直哉の日記に等しい内容を含んでいるからで…

志賀直哉と尾道遊廓(4)

近代日本の作家たちの中で、志賀直哉をはじめとする白樺派の芸術家たちは、生活するために 働く必要もなければ、働くこともなく、芸術活動に専念できた経済的に恵まれた人たちだった。 志賀直哉の祖父、父は足尾銅山、総武鉄道、帝国生命などに関係した財界…

志賀直哉と尾道遊廓(3)

志賀直哉が千光寺から市内をはじめて眺めた時の様子が、小説『暗夜行路』に書かれている。 鐘楼の所からは殆ど完全に市全体が眺められた。山と海とに挟めれた市は其細い幅とは不釣合に 東西に延びて居た。家並もぎっしりつまって、直ぐ下にはづんぐりとした…

書評家 児玉憲宗さん

土曜と日曜に大坂へ行ってきました。 「別冊関学文芸」の会があったからで、新幹線に乗るとき、車内で読むために「週刊新潮」を 買いました。ぱらぱらページをめくっていて、この書評に気がついた。 「絶対損しないこの一冊」というたのもしい書評ページ。 本…