小豆洗(あずきあらい)

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あずき洗い。

この妖怪を有名にした功績は水木しげるさんにある。

水木さんの妖怪「小豆洗い」は下図の通りで、出典がこの竹原春泉斎の『絵本百物語』

であることは明らかである。

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水木しげる妖怪大図鑑から小豆洗いの説明を引用する。

《「小豆洗い」 別 名:小豆とぎ

  棲息地:日本各地の谷川のほとりや橋の下に出現。

   川のほとりでショキショキと小豆をとぐような音をさせる妖怪である。

  ときには歌をうたう。 「小豆とごうか、人とって食おうか、ショキ、ショキ」

   面白がって近づくと必ず川に落ちる。 》


『絵本百物語』には小豆洗いについて詳しく物語っている。

昔越後の高田の寺で、住職が貰い弟子を育てていた。

身体のどこかにハンディがあった子供だったが、とびぬけて利発で、人に優れてものの数を

知ることができた。

あるとき、住職が一合の小豆を計ってその数を問うと、すぐに答えた。また一升を計って

数を問うと、その数を答えた。住職が数えてみると、一粒も違うことがなかった。

住職はその利発さを賞美して、ゆくゆくは跡継ぎにするつもりでいた。

これを妬んだ円海という同宿の悪僧が、小僧を殺し、井戸に沈めてしまった。

夜な夜な小僧の霊が現れ出でて、雨戸に小豆を打ちつけて騒ぐようになった。

あるいは夕暮れに、かたわらの流れに出て、小豆を洗って数を数えたりした。

これが噂となり、やがて円海は代官所に捕らわれて、死罪に処せられた。

円海の死後、こんどは毎夜、小僧と円海の霊がともに現れて、争って井戸に落ちる音が

する騒ぎとなって、やがて寺をおとずれる者はなくなり、住職をつとめる者も絶えた。

寺は元禄2年(1689)に焼失し、跡形もなくなったという。


本文は次の通り。

《山寺の小僧、谷川に行てあづきを洗ひ居たりしを、

 同宿の坊主意趣ありて谷川につき落しけるが、岩にうたれて死したり。

 それよりして彼の小僧の霊魂、おりおり出て小豆をあらひ

 泣きつ笑ひつなす事になんありし。》