昼下がりのダンスホール

尾道新聞の8月18日号から私の小説「昼下がりのダンスホール」の連載が開始になりました。およそ15回ほどの連載になるそうです。
終戦後の昭和20年11月に米軍による尾道進駐があり、約一年後米軍から豪州軍に交代しますが、進駐軍の将校クラブが久保の料亭藤半に設けられ、ダンスホールが作られます。その頃私はスミレ幼稚園に通っており、昭和22年3月に卒園しますが、幼稚園で一緒だった少女が藤半の関係者の子だったことから、21年の冬に少女に誘われて、その進駐軍のダンスホールをのぞきに行くという話です。進駐軍が来るというので尾道市の関係者はてんてこまいの大騒ぎで、その様子を当時の史料から書いています。
尾道新聞の8月18日号一面は17日に開催された「戦没者追悼式および平和記念式典」の模様の記事です。そして2面の全ページを割いて小説「昼下がりのダンスホール」掲載です。平和のありがたさを訴える一環として、この特別な計らいによる連載スタートだと感じています。それにしても1ページすべてを割いての連載スタートに作者として,感激しています。

夜の散歩

公園内の祭り会場へ戻ると、舞台の上に立った原田直之さんは「踊りは雨で中止です。かわりに民謡を2曲唄うことにします」と大雨の中、傘をさして、「会津磐梯山」を唄い始めた。しかし雨のせいでカラオケの装置がトラブル。曲の一番を唄ったところで中止となる。まことに残念。折りたたみ傘をさしていたが、ずぶ濡れになって帰宅。折角の町内の夏祭りはおじゃんとなった。
だが本日、26日日曜日も祭りはある。今夜は妻を誘って行ってみるつもり。

夜の散歩

昨日7月25日、夜の散歩に出かけると、風致地区公園近くでお囃子が聞こえてきた。公園内で大泉学園町の夏祭りが開催中だった。広くもない園内中央に舞台が築かれ,踊り手が周回し、多数の露店が並ぶ。歩けないほど大勢の見物客であふれている。場内放送が「これより関係者の挨拶があり、その後で町内にお住みである民謡大名人の原田直之さんの民謡があります・・」と言う。
ではまずサミットでアイスコーヒーを飲んで休憩して、帰りにもう一度来て原田さんの歌声を聴くことにする。
ところがサミットを出ると外は大雨になっていた。公園の祭りはどうなった?



夜の散歩

昨日7月25日、夜の散歩に出かけると、風致地区公園近くでお囃子が聞こえてきた。公園内で大泉学園町の夏祭りが開催中だった。広くもない園内中央に舞台が築かれ,踊り手が周回し、多数の露店が並ぶ。歩けないほど大勢の見物客であふれている。場内放送が「これより関係者の挨拶があり、その後で町内にお住みである民謡大名人の原田直之さんの民謡があります・・」と言う。
ではまずサミットでアイスコーヒーを飲んで休憩して、帰りにもう一度来て原田さんの歌声を聴くことにする。
ところがサミットを出ると外は大雨になっていた。公園の祭りはどうなった?