2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧

築地川(8)築地居留地

これは鏑木清方の「明石町」です。ガス灯の下で遊ぶのは外国人の子供たちです。 東京の中にあった異国という画題です。 清方の画集「築地川」を巡る春の散策はこれでいったん終了にしますが、さいごに、明石町の居留地の地図をもう一度UPします。 外人居留…

エレファントマン

イギリスにいる息子から、ロンドンで撮った写真がメールに添付して送られてきた。 ロンドンのホワイトチャペル街にある3階建ての古い建物の写真。 1階がインド人が着るサリーのショップ。 2階には美容院とクリニックがあり、3階はミニキャブのオフィスが…

築地川(7)「築地明石町」

鏑木清方ファンならば、この名作を知らない人はいません。 ファンならずとも、切手で見た記憶がある人も多いことでしょう。 昭和2年制作の絹本彩色です。 抜けるような白い肌、黒の羽織の袖を胸高に合わせて、振り返るおんなの姿態の、日本のおんなでなくて…

築地川(6)「伊達家水門」

これは鏑木清方の画集『築地川』におさめられた「伊達家水門」という絵です。 それにつけられた清方の詞書を引用します。 伊予、宇和島、伊達家の広い屋敷。潮入の池があって、その水門際に小橋が架かる。 緑陰こまやかなところ、夏は行人の、憩いの場所にな…

「狐の帳面ー南畝の奇談」

本日発行になった雑誌『酩酊船』に、わくわく亭は「狐の帳面ー南畝の奇談」という短編小説を発表しています。 江戸の狂歌師であり風流文人である大田南畝が、門下の亀屋文宝亭相手に狐にまつわる不思議な話をするというスタイルの小説です。 へえ、そんな小…

築地川(5)「鉄砲洲」

「鉄砲洲」です。 鏑木清方の詞書を引用します。 もと、京橋区本湊町、新湊町辺一帯に、昔砲術の演習場があったので、鉄砲洲の名があった。 本湊町と、船松町の堀割に渡した橋の名は小橋。 その対岸は佃島である。 夏の夕刻でしょう。縁台将棋をはじめた親父…

築地川(4)「新富町」

清方の絵「築地橋」を見たときに、橋から近い新富座について書きましたが、彼には昭和5年制作の「新富座」という美人画があります。 雨の中、新富座前を、傘をさして行き過ぎる美人は、もちろん清方が愛してやまない明治期の女です。 髪型こそ違え、白い横…

美人風俗

築地川(3)「築地川春雨」

画題は「築地川春雨」です。昭和25年の作。 橋の名前がついていないから、清方が画いたのは築地川(つきじがわ)のどの橋なのか分からない。 雨で増水した川の流れを、見るともなしに見下ろしている、思いに耽る女の赤い傘。 傘を肩に傾げるほどの、やわら…

築地川(2)「築地橋」

鏑木清方(かぶらき・きよかた)の画名を聞いて、わくわく亭が真っ先に思い起こす作品は、「一葉」(樋口一葉像)と「三遊亭圓朝像」です。そしてかずかずの美人画ですね。 清方に風景、花鳥図がないのではないのですが、殆どは人物画か、風景に人物を配した…

おお、実をつけるとは

3月初めから、いくどか披露したわくわく亭の庭の枝垂れ梅。 おぼこ梅と名づけては、駄句の相手にしていたものが、 今朝気がついてみれば、ごらんのとおり、青い実をつけているではないか。 若葉の蔭に、ひとつ、ふたつ…いつつ。 この梅の木は、うちにやって…

築地川(1)「亀井橋」

(『築地川』より「亀井橋」昭和16年制作) 亀井橋 銀座一、二丁目の間を東に行くとこの橋へでる。現存の位置も変わりないと思うが、 遠く見ゆる合引橋は、三吉橋架設の時になくなって今はない。 亀井橋は、木挽町二丁目から築地二丁目に渡るので、夕涼み…

初夏の雨なのに、気分はまだ春雨

今朝はしっとりした気分の雨が降っています。 春雨や、と口をついて出かかって、おや5月の休日だから 春雨は季節ちがいだ。 とは知りながら、今朝の気分は、今年さいごの「春雨」と 呼びたいのです。 行く春に ひとりの朝の 小雨かな 春雨や さびしくもなく…

「みなと祭り」のはじまり

尾道「みなと祭り」が今年は4月26、27の両日開催されるそうです。 この祭りがはじまったのは昭和10年の春でした。 戦時中の中断はありましたが、昭和22年に復活すると、今日まで毎年にぎやかに執り行われています。 昭和10年か11年の「みなと祭…

美少年(10)散る花

昭和の雑誌、絵本に画かれてきたあまたの美少年たち、その中でやはり高畠華宵の画いたものが正統派ということになるのでしょう。 「雨中の銃声」(『日本少年』昭和5年) 「散り行く花」(『華宵抒情画集』昭和4年)

美少年(9)耽美派

石原豪人(いしはら・ごうじん)は1998年に75才で亡くなっています。 挿絵画家の名前は知らなくても、昭和40年代に映画アイドル雑誌として売れに売れていた「明星」と「平凡」で有名人、芸能人の似顔絵を描きまくっていたから、彼の絵はたいていの人…

美少年(8)中原淳一

中原淳一の美少年となると高畠華宵の場合と異なって、簡単にはみつからない。 ほとんどが、あの大きな、おめめパッチリの美少女、美人画ばかりだから。 中原淳一の絵本『七人のお姫様』(昭和43年刊)をわくわく亭は大泉学園の古書店「ポラン書房」で手に…

生麦事件(なまむぎじけん)

オランダ商館員が撮影した幕末のお江戸写真をご覧いただいていますが、幕末は幕府の開国政策と、尊皇攘夷派との激しい抗争が続いた時代であり、平和なお江戸風景ばかりをご披露というわけには参りません。 写真家はどうしても事件現場を撮りたくなるものらし…

神奈川・横浜・江戸

幕末、カメラを担いだ長崎のオランダ商館の一行は東海道を下って、横浜から江戸に入ってきました。 かれらが撮った幕末の風景写真です。 神奈川の東海道沿いの町並みです。立派なものです。オランダ人たちも感嘆したもよう。 横浜の遊郭です。有名な岩亀楼な…

美少年(7)・悲壮

またしても伊藤彦造の挿絵を持ち出しました。悲壮美の剣士を画かせると、彦造の細密画の右に出る者はいないでしょう。 昭和2年『少年倶楽部』の「合掌金剛」から。 敵を一人、二人と倒してはいるが、まだ画面左手には、敵方の頭目の剣先が迫っている。 主人…

美少年(6)・山口将吉郎

山口将吉郎は吉川英治の小説『ひよどり草紙』の挿絵が代表作といわれる。 面長の顔を好み、眼光鋭く、鼻梁は高く、りりしく気品あふれる美少年を画いた。 この2枚は昭和3年ころの作品で『少年世界』などに画かれたもの。 吉川英治の『宮本武蔵』に出る佐々…

美少年(5)・信義のために

伊藤彦造が画いたのは、信義や忠義のために命をかけるストイックな美少年たちだった。 図鑑(3)に登場した「楠木正行(くすのき・まさつら)がそうでした。忠義のために決然と死地に赴く ヒロイズムが官能的でさえあったのです。 昭和4年『少年倶楽部』の…

雨の日

雨だが、雨量はわずかのようだ。 濡れ縁の色が変わるほども降ってはいない。 かなりいたんできた濡れ縁である。 鳥が羽を休めたのを見て、いそいでカメラを取ってきたが、 もう姿はなかった。 小さな庭だけど、野鳥がよくやってくる。 先日も、メジロが来た…

浄土寺の花祭り

4月8日(正しくは旧暦の4月8日)にはお寺さんではお釈迦さんの誕生を祝うお花祭り(灌仏会)を祝 います。東京銀座通りでの灌仏会の写真をUPしたところですが、ふと思いだしたのが、尾道の浄土寺で 昭和31年に撮られた花祭りのなつかしい写真のこと…

こどもエコ絵画コンクール

ツムラのキリンから、広い八重洲通りを横断すると、天下に名高いブリジストン美術館があります。 その日本橋中央通り側のウインドーの中に、いまたくさんの子供たちの絵画が展示されています。 毎年ブリジストンが募集する「こどもエコ絵画コンクール」の入…

特別付録・「ハク」

人気マンガ『NARUTO』から「ハク」の肖像です。 わくわく亭の「日本美少年図鑑」に平成の美少年を加えるべきだと、「よっこ」さんが特別出展 してくれました。 古い褒め言葉ですが、水も滴るいい女、ではなくて、ため息が出るほどの美丈夫です。 「よ…

美少年(4)・妖美

高畠華宵の「インディアラメント」という画題の作品で、昭和初期のものらしい。 どこか美川憲一さんの横顔に似てませんか? ちょっとセクシーな作品じゃないですか。

美少年(3)・決死

(2)にひきつづいて伊藤彦造の「四条畷(しじょうなわて)の楠木正行(くすのきまさつら)」です。 昭和17年「陸軍士官学校記事誌」に掲載。 この四条畷の戦で正行は死ぬわけですが、足利軍が射掛ける矢ぶすまの中、決死の斬り込みをかける 勇姿を画いて…

美女のポスター

地上では春の暖かな陽差しが降り注いでいるというのに、わくわく亭は地下街を散歩していました。 いちど行き過ぎながら、思い返して後戻りしてカメラに収めたのが、このフランスの美女。 PERRIER JOUET BELLE EPOQUE(ペリエ・シュエ…

花祭り

お寺の近くの住んでいる人には、珍しくもない花祭り(灌仏会)の光景です。 お寺から離れた住宅地に暮らしていますと、花祭りのことも忘れがちです。 それは釈迦の誕生を祝う行事で、4月8日(正しくは旧暦の4月8日)に花で飾った花御堂(はなみど う)の…