#映画監督

この美青年はだれだ?

先日大阪の兄のもとから古い雑誌を数冊もらってきた。 雑誌は『劇と映画』『芝居とキネマ』『演藝画報』などで大正13年から昭和12年までに 発行された古いものばかり。 『劇と映画』は昭和3年1月発行の2月号である。 表の表紙は豊原国周が描いた役者…

「ジジイ」に脱皮した北野武さん

写真はお笑い芸人であり映画監督でもある北野武さん。 なにもカンヌ映画祭で最新作『OUTRAGE』が受賞しなかったからしょげている姿、 というのではない。 季刊誌「SIGHT」の春号に掲載された写真なのである。 「北野武、『男の更年期』を語る」…

大林宣彦監督 旭日小綬章祝賀会

3月16日新宿の京王プラザホテルで「大林宣彦さん 受賞記念祝賀会」があって、行ってきました。 昨年秋の叙勲で「旭日小綬章」を受賞された祝賀会でした。 2月に祝賀会の案内状を貰ったのですが、その発起人の顔ぶれがスゴイ。 映画・テレビ界、作家、音…

小津が撰した「山中貞雄之碑」の追悼文

映画監督山中貞雄は1938(昭和13)年、中国の野戦病院で病没。 28歳10ヶ月という若さだった。 この写真はその1938年に戦地で撮影されたと思われる。 彼の死後3年経った1941(昭和16)年、彼を慕う映画人たちの手によって、菩提寺である…

絵を画く小津安二郎(2)

『新嘉坡(シンガポール)好日』未完成のスケッチである。 小津安二郎さんが戦時中シンガポールのキャセイ・ホテル最上階(11階)の部屋で 無為の日々を送っている頃、部屋の窓から見える中国人街をスケッチしたものだそうで、 未完成のまま終戦後、帰国す…

絵を画く小津安二郎(1)

映画監督は絵コンテを画いたりするから、絵が上手い人も少なくない。黒澤明の絵コンテは、もっとも 有名な例だろう。 小津安二郎監督も上手い絵を画き残している。 黒沢監督のとは画風が異なる。俳句や短歌や詩を書いている小津さんだから、画風も文人風であ…

尾道へ小津監督がやってきた

映画『東京物語』(昭和28年制作)の撮影のために小津安二郎監督、俳優笠置衆、女優原節子、香川京子さんたちがやってきた。 尾道市内の浄土寺境内での撮影スナップです。 笠置衆さんの死んだ息子の嫁が原節子さんで、娘が香川京子さん。香川さんは原さん…

小津安二郎さん

この小津安二郎監督のポートレートは『水辺のモダン―江東・墨田の美術―』という美術展のカタログから貰ったものです。 東京都現代美術館が2001年6月中旬から8月中旬までの2ヶ月間開催した美術展で、もうひとつサブタイトルがあって、それは『濹東遊覧…

前田陽一遺稿集

松竹の映画監督だった前田陽一さんが、ガンで他界したのが1998年5月でした。 享年は65歳だから、いまの寿命からいって早世。 前田監督は兵庫県龍野市の出身だった。尾道出身であり大学も違ったわくわく亭に、前田監督と多生の縁があったとするならば…

映画監督前田陽一の会

きのうは横浜へ行ってきました。 桜木町で、昼間は雑誌「酩酊船」合評会。夜は「ヨコハマ前田友の会」です。 「前田友の会」というのは、1998年に亡くなった松竹の映画監督、前田陽一さんのファンのつどいです。 前田監督は横浜に長く住んだことがあって…

小津安二郎監督のやがてかなしき後ろ影(3)

都築政昭さんの本『小津安二郎日記』(講談社)から、僕が好きな小津さんの歌や詩を、ほんのちょっと紹介しようと書き始めたところが、(1)(2)でも終わらず、予定外に(3)にまで延びてしまいました。 同書から写真を2枚借用させていただきます。(2…

小津安二郎監督のやがてかなしき後ろ影(2)

小津監督と作家志賀直哉との親交は、彼が46歳(昭和24年)の頃からはじまったようです。 さらに、志賀直哉の紹介によって鎌倉在住の作家たち、里見弴、川端康成、大佛次郎、小林秀雄らとの交流へとひろがります。映画『宗方姉妹』は大佛の原作ですし、『…

小津安二郎監督のやがてかなしき後ろ影 (1)

小津安二郎さんといえば、いまや映画『東京物語』で世界的な名声をほしいままにする名匠監督です。 最近では,彼についての数々の評伝に加えて、日記、有名作家たちとの交友記なども出版されて、人気は衰えることを知りません。 尾道出身の僕わくわく亭としま…