土門拳の『風貌』(9)
新派の大女優水谷八重子さん。
1951年の撮影で、八重子さん46歳。
楊貴妃の顔をこしらえている楽屋で撮ったもの。
文句なしの美貌。
現代の二代目水谷八重子(良重)さんではない、初代の八重子さんである。
遠慮なく言わせてもらうが、二代目は、さほどの美貌ではない。
美貌において、お母さんに及ばない。また女優の藝においても、
お母さんにまだ及ばないのではないか。
この楊貴妃に扮する八重子さんの写真は、実は撮り直したものだそうで、
そのいきさつが面白い。
最初撮った写真を八重子さんは大層気に入って、ひとに見せたり、額にいれて自宅に
飾ったりしていたが、土門拳さんは、申し訳なく思っていたという。
彼の撮影は被写体を徹底的なリアリズムで撮ろうとするから、女性を撮ると“美しくない”
と不評が多かった。小じわ、左右の大きさが違いすぎる眼、曲がった鼻、などがはっきりと
写りすぎるからだった。
八重子さんを撮った写真もまた、ドーランやけで荒れた肌、荒れた毛穴まではっきり写り、
舞台に出る直前に鼻の穴をオキシフルで拭いたのが水洟垂らしたように写って、リアルでは
あってもお世辞にも美しくなかったので、その写真が気に入っていると
大切にされていると聞いて、申し訳なく思っていた。
あの水洟が垂れたような写真は、あまりにリアリスティックで、やりきれなかった。
そこで、また楽屋を訪れて、閃光電球を使わず、レンズも絞り込まず撮り直した。
それが、この写真なのだという。
この写真は、まだ八重子さんに見せていないと、土門さんは書いている。
しかし、わくわく亭は思う。
水谷八重子さんは、水洟垂らしたようにみえていた自分の“リアリズム”の顔が
気に入っていたのだろうと。美しく撮った写真ではないが、リアルな自分を写した写真が。
しかしながら、とさらに思うのだが、それも水谷八重子ほどの美貌をもっている女優だから
言えることではないか。美貌に自信のない女優なら、リアルより、きれいに見えるように
写りたいにちがいないだろうから。