野宿火(のじゅくび)
きつね火にもあらず、 草原火にてもなく、 春は桜がり、秋は紅葉がりせしあとに、 火もえあがり、 人のおほくさわぎうた唱ふ声のするは、野宿の火といふものならん。
なかなかに情緒のある竹原春泉の文章なので、引用した。
田舎道、街道、山の中などどこにでもあるが、誰が焚き捨てたというでもなく、
人なき跡に、ほとほとと燃え上がっては消え、消えてはまた燃える、野宿火。
遊山に来た人が去った後に見る、焚き火の跡というものは、なんとなくうら寂しいものである。
そんな焚き火の跡が、雨降りの後などに、燃え立っているのを木の間がくれに見れば、
目には見えないが、気配だけの人々が集まっているかのような気がしてきて、
不気味なものである。
《あわれに不気味ですさまじいものは野宿火である。》
恐ろしげな妖怪変化の絵姿こそないが、この絵を『絵本百物語』に入れた竹原春泉斎の
意図は成功している思う。