アイスキャンデー屋の少女

 小説を書いていて、登場する人物のほとんどは架空のものだから、読者から、その人物が現実にいたと聞かされて、「うっそー。ほんとなの」と驚くことがあるんです。

 僕の『尾道物語・純情篇』におさめた「アイスキャンデー屋の二階」は、ある映画館のすぐわきに実際にあった、アイスキャンデー屋をモデルにしています。
 
 その店は、僕の小学校の同級生の家でした。そこに、昭和26年ころの夏休み、生徒の何人かがあつまって紙芝居をつくったことがあって、そこまでが現実にあったことです。その他のことは、すべて僕のつくったフィクションです。

 去年の秋、尾道の高校の同窓会が東京であって、その会場で僕より一年先輩の男性から、
「アイスキャンデー屋の二階を読みましたよ」と声をかけられました。
 
 その先輩については名前と顔は見知っていましたが、これまでにとくに親しく話をしたこともなかったのでした。

「あなたが、小学生のとき○○くんの同級生だったとは、しらなかった。○○くんはいまも元気でやっていますよ」
 
 僕は同級生の姓の方は記憶していても、名前の○○までは憶えていませんでした。

 僕の遠い記憶の中に残ったアイスキャンデー屋の二階風景を、ものがたりの舞台に借りてきただけなので、現実の○○くんと彼の家族のことは何一つ知らなかったのです。
 ですから、ちょっと落ち着かない気分になりました。

「彼の姉さんは、いま有名な画家になっていましてね……」と画家になって成功した姉さんの業績について、はじめておしえてもらいました。
「彼に姉さんがあったんですか。知りませんでした」
 知らなかったことで、なにか、申し訳ないような気持ちがしました。
 
 そして、その先輩は、僕に一番話したかったことに触れたのでした。

「彼には二人妹がいましてね」
「妹さんがあったんですか」まったく知らなかった。
「そうなんです。下の妹がね、いまの私の妻なんです」
「へえ。そうなんですか。そうですか」
「私のうちが近かったので、よく夏には遊びにいってて、姉や妹がアイスキャンデーの機械のまわりで騒いでいましたよ……」

 そうなんですか、と同じ言葉を何度も繰り返すことでした。

 モデルに使ったアイスキャンデー屋。家族のことはなにも知らずに小説の舞台につかっただけだったが、そこに住んでいた人々が、自分たちのことを語りたくなるのは当然のことで、それを知らなかった僕が落ち着かない、うしろめたい気持ちになるのも自然のことだ。

「じゃあ、あの夏休みの日に、○○くんの妹だった、あなたの奥さんも、下のお店にいたんでしょうね」
「きっと、いましたよ」

 先輩は、そこで社交辞令のひとことをいった。
「あの小説、よかったですよ」