この
四条畷の戦で正行は死ぬわけですが、足利軍が射掛ける矢ぶすまの中、決死の斬り込みをかける
勇姿を画いています。
右太衛門といっても知らない人が多いだろうから、息子の欣也にします)
楠木正成が
南朝方の兵を挙げて、
湊川の戦で戦死するまえに、息子の正行を説得して彼を本拠地の河内へ
帰すのですが、その父子の別れが
唱歌『桜井の別れ』として、涙ながらに日本中で愛唱されたのでした。
(1)青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ 木の下蔭に駒とめて…(略)
(2)正成涙を打ち払い 我が子正行呼び寄せて 父は兵庫へおもむかん かなたの浦に討死せん
いましはここまで来つれども とくとく帰れふるさとへ(後略)