築地川(1)「亀井橋」
(『築地川』より「亀井橋」昭和16年制作)
亀井橋 銀座一、二丁目の間を東に行くとこの橋へでる。現存の位置も変わりないと思うが、 遠く見ゆる合引橋は、三吉橋架設の時になくなって今はない。 亀井橋は、木挽町二丁目から築地二丁目に渡るので、夕涼みに賑わった。ー鏑木清方の画文集「東京 築地川」(昭和37年)から引用ー
鎌倉の鏑木清方記念美術館では生誕130年展を4月25日から12月21日まで、毎月展示内容を変えながら長期開催するそうです。
わくわく亭は清方画集『築地川』(つきじがわ)を開きながら、これらに画かれた川と橋は現在がどんな姿になっているのか、その変貌ぶりをブログで紹介するのも面白かろうと、その場所をたずねて写真を撮ってこようと思い立ちました。
というのも、わくわく亭の仕事場は京橋にあり、清方が画いた築地川の場所までは、歩いてものの10分ほどの距離なのです。
そこで午後の散歩コースに、このところかつての築地川周辺の散策を加えました。
すると、たくさんの橋があります。川は消えても橋は残る。まるで虎は死して皮をのこす、の「語呂」ですね。
たくさんの橋、橋づくし…、まてよ三島由紀夫の小説(芝居もあり)『橋づくし』の現場じゃないか。
となると、鏑木清方からはじめて、三島の『橋づくし』のすべての橋をおとずれて現在の写真をUPしようと、わくわく亭はにわかに色めき立ったのでありました。
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「かきかけ」にして2日経ちますが、実は5日ほど以前から毎日のように旧築地川(いまは殆どが埋めたてられて首都高速道路になっている)沿いを歩いています。写真も100枚を超えてしまい、どれをUPするか悩ましい。
わくわく亭の凝り性な一面です。
岡本かの子の『河明かり』で主人公の女性作家が仕事部屋を見つけるのは、亀島川沿いであることが判ったので、この「築地川散歩」からは外します。亀島川となると鉄砲洲の北になり、築地側のテーマから遠くなってしまいます。
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この地図は明治初めのものです。なぜこんな古地図をUPしたかといいますと、築地川の流れが一目で分かるので便利だからです。
薄い水色をした部分が川か水路です。
その下辺の中央あたりに、ヘソの凹みのようになっている場所に明石橋があります。
見えにくいでしょうが、「明石丁」の左の端です。そこから海水が流れ込んで、上方に流れ、左に折れ、左の「海軍省」とある場所で2筋に別れ、1筋は(朱色に印刷された)築地本願寺の脇を下って海にそそいでいます。あとの1筋は「海軍省」(ここが現在の築地魚市場です)の頭をすぎて浜離宮手前で左折して、やはり海に出ています。これが「築地川」なのです。
見えにくいでしょうが、「明石丁」の左の端です。そこから海水が流れ込んで、上方に流れ、左に折れ、左の「海軍省」とある場所で2筋に別れ、1筋は(朱色に印刷された)築地本願寺の脇を下って海にそそいでいます。あとの1筋は「海軍省」(ここが現在の築地魚市場です)の頭をすぎて浜離宮手前で左折して、やはり海に出ています。これが「築地川」なのです。
築地川は川というより堀割といったもので、海水が流れ込んで、ぐるりと一周して海にもどる水路なのです。この築地川に囲まれた区域に、現在の丁名では築地1丁目から7丁目までの全区域が、すっぽり入っています。
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さて、ようやくトップの清方の絵に戻れます。
ゆかた姿の若い娘たちが、亀井橋のらんかんに寄りかかって、夕涼みを楽しんでいる。右手奥に見えるのは合引橋です。
もう一度明治初期の地図を見てみると、築地川の上辺にある3つの橋の一番右のが「亀井橋」とわかります。
そこから右下に曲がったところに架かるのが「合引橋」です。
さて、ようやくトップの清方の絵に戻れます。
ゆかた姿の若い娘たちが、亀井橋のらんかんに寄りかかって、夕涼みを楽しんでいる。右手奥に見えるのは合引橋です。
もう一度明治初期の地図を見てみると、築地川の上辺にある3つの橋の一番右のが「亀井橋」とわかります。
そこから右下に曲がったところに架かるのが「合引橋」です。
この絵は昭和16年に画かれたものですが、清方は記憶の中の明治期の橋風景を画いているのです。
なぜなら、合引橋は昭和4年に、三つ叉構造の「三吉橋」に架け替えられているからです。
そのとき築地川が、まだこれほどうつくしい流れをたたえていたでしょうか。
なぜなら、合引橋は昭和4年に、三つ叉構造の「三吉橋」に架け替えられているからです。
そのとき築地川が、まだこれほどうつくしい流れをたたえていたでしょうか。
そして、築地川は、高度成長経済の犠牲となった東京の多くの河川のように、埋め立てられたり暗渠となって地下に沈められたりして、われわれの視界から姿を消してしまったのでした。
左上は亀井橋上につくられた公園。右上は亀井橋からのぞんだ三吉橋です。