美少年(7)・悲壮

またしても伊藤彦造の挿絵を持ち出しました。悲壮美の剣士を画かせると、彦造の細密画の右に出る者はいないでしょう。

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昭和2年『少年倶楽部』の「合掌金剛」から。
敵を一人、二人と倒してはいるが、まだ画面左手には、敵方の頭目の剣先が迫っている。
主人公の美少年は手傷を負いながらも、気力は衰えていない。


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昭和24年『冒険活劇文庫』(少年画報社)から「丸橋忠弥のめし捕り」。
丸橋忠弥はアウトローヒーローとして、講談や時代劇にさかんに取り上げられた。
幕府転覆をねらう由井正雪に荷担する槍の名人だった。

慶安4年(1651)年、楠木流の軍学者由井正雪は反逆罪で捕らえられて、切腹した。
幕府転覆を謀ったという罪名だったが、でっちあげ臭い事件。
世に「慶安の変」と呼ばれる。
正雪は、平時に軍学を教えて、江戸に道場を開き、門下生は3000人と盛況だった。
ねたまれて、いいかげんな密告をうけて、幕府に潰された、というのが実態だったろう。

その正雪の盟友の一人が、槍術では江戸随一と噂されていた丸橋忠弥。

彼は、さいごまで幕府の捕り方に壮絶な抵抗をしてみせた。
彼は講談がつくりあげたアンチヒーローなのだが、「滅びの美学」をかっこいいと感じた全国の少年たちに、熱烈に支持されたものである。

わくわく亭も、映画では決まって、髪を総髪にして、どこかの教祖さんのようにキンキラの装束をした由井正雪に同情はしなかったが、丸橋忠弥には、最後には100人以上の御用聞きたちに捕縛されるとは知っていても、悲劇の英雄にぞっこんまいってしまうのだった。

正雪を見捨てて、愛人とともに、ひっそり身を隠して生きようとすればできたものを、盟友である正雪の危機を見過ごすことのできない忠弥は、女と別れて、正雪と運命を共にするのである。

ああ、その男気に、少年わくわく亭はシビレていた。

伊藤彦造の画く忠弥は異様な迫力をもっている。

捕り方に取り囲まれて、もはや逃げる道はなくなり、グロッギーになりながらも、最後の最後まで抵抗をあきらめず、井戸水を飲む鬼気迫る迫力に圧倒されて、捕り方は遠巻きにするばかりで、誰一人として
近寄れない。