美少年(8)中原淳一

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中原淳一の美少年となると高畠華宵の場合と異なって、簡単にはみつからない。

ほとんどが、あの大きな、おめめパッチリの美少女、美人画ばかりだから。

中原淳一の絵本『七人のお姫様』(昭和43年刊)をわくわく亭は大泉学園古書店「ポラン書房」で手に入れた。
人魚姫、白雪姫、シンデレラ姫など七人のお姫様の物語を、大人が読める絵本として中原が文と絵を画いたもの。

どのお姫様もとてもよく似た顔をしているばかりか、彼女たちを幸せにする幸福の王子さまたちも同じ顔をしている。

上の王子様は「白鹿姫」の王子。つぎのは「シンデレラ」の王子様。

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中原淳一にとって、王子様は世界にたった一人しかいなかったのかもしれない。

しかし、そこが中原淳一中原淳一たるゆえんである。理想としたものにブレがない。画一的といわれようと、躍動感がなく静止的といわれようと、確信犯的におなじ顔を描き続けた。

挿絵からスタートしたが、自分で雑誌を発行して成功をおさめ、昭和30年代の中原の人気は伝説的なまでに高かった。
「それいゆ」「ひまわり」「ジュニアそれいゆ」「女の部屋」など、ほとんど一人で雑誌を作るのであるから、一日の睡眠時間は2~3時間だったらしい。
そのため、幾度となく、過労からくる病気で倒れた。

中原淳一について書かれた評伝を読むと、彼の少年期の人形作り趣味など、イヴ・サンローランの生い立ちと似ている。
彼にはファッション・デザイナーとしての才能があったのは明らかなようである。

少年のころ自作の衣裳を着せたフランス人形を作ることが趣味で、ついに個展を開くことになる。
19才の春、銀座松屋で「中原淳一フランス人形展」を開いた。

その人形のデザイン力を評価したのが、竹久夢二の死後、彼に代わる挿絵画家をさがしていた出版社の編集者だった。あとは文字通りのサクセスストリーであり、それもイヴ・サンローランに似ている。

昭和58年千葉県の館山で70年の生涯を終えた。

ここでオマケとして、昭和32年8月号「それいゆ」の表紙をUPしよう。
雑誌としては変形の、横に長いサイズだった。
表紙を飾る美人はどうみても当時の日本人ではない。中原は終生フランスに憧れた人だった。

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