木村伊兵衛(8)志賀直哉

イメージ 1

映画俳優の肖像写真じゃありません。

小説家の写真です。日本には、かつて、こんないい顔の作家がいたんです。

(近頃では、これほどの風貌をした作家を見かけなくなりました)


小説の神様志賀直哉を撮った写真は数々あります。

しかし、この木村伊兵衛の撮った一枚は、一度見たら釘付けになる一枚です。

1937(昭和12)年の撮影です。

その年、志賀直哉は54歳で、彼の唯一の長編小説である『暗夜行路』の後編を発表して、作品を完結

させています。

作家としてもっとも充実感をもった年だったでしょう。

その充実した作家を、木村伊兵衛は、得意のライカのレンズのなかに、見事な映像としてとらえました。

「充実感」はともかくとして、なんという、いい男でしょう。

しろうとの女はともかくとして、くろとの女、芸者たちは一目惚れしたにちがいない。



『暗夜行路』の前編は1921年に、作家が38歳の年に発表しました。後編はそれから16年後に発表

されたのです。

尾道で、その前編を書き始めていたのが1912年のことです。父親との不和から家を出てきて、尾道

六ヶ月ほど暮らしたのですが、彼が29歳のころです。

つまり、25年以上の歳月をかけて『暗夜行路』は完成したのでした。

それを書き上げた顔が、この顔なんです。

 
ところで、わくわく亭は以前ブログで、吉田健一さんの「余生の文学」について書いていますが、それを

ここに引用します。

《余生とは、生活するため、家族をやしなうための仕事というものをやり終えて、さてあとは心の儘にや

りたいことをやろうという人生の時期のこと。文学が本物になるのは、その余生の時期である。

 なにか、はっきりした目的があって(お金とか)、それが他に優先している間は、文学の仕事はできな

い。文学を愉しむ余裕がないと、それは出来ない》

その記事は下記のアドレスです。

    http://blogs.yahoo.co.jp/morioka_hisamoto/21915191.html

 吉田さんは、「余生の文学」の一例としてゲーテの『ファウスト』をあげており、ゲーテの代表作であ

る『ファウスト』は50歳で書き始められ、完成されたのは80歳の死の直前でした。

 わくわく亭は、吉田健一さんの「余生の文学」論が好きなのです。

 かつて、大岡昇平は『暗夜行路』を近代日本文学の「最高峰」であると評しました。

 そして、大岡昇平が近代日本文学の最高峰と評した『暗夜行路』をたとえるならば、ゲーテの『フ

ァウスト』であり、それは日本における「余生の文学」の傑作であったと、わくわく亭はいいたいので

す。