志賀直哉と尾道遊廓(7)

ここで大正元年ころのお金と物価の話をしてみたい。

志賀直哉尾道にやってきた大正元年尾道の物価を考えてみるのも面白い。

『暗夜行路』やその草稿に書かれている物価や料金を、現代のそれと比較してみたいと思う。

もちろん志賀直哉の懐具合もあわせて考察するとしよう。


いろいろの物価統計や指数を比較、検分してみたところ、平成24年の物価は大正元年のそれの

およそ5000倍になっていると考えられる。

たとえば、白米10キロで比較すると、大正元年は1円40銭。いまはピンからキリまで多種類

あるが、スーパーのあきたこまちが5500円くらい。コシヒカリが6000円。すると、

4000倍~4300倍になっている。

大正5年の教員初任給が40~50円。平成23年では230,000円。とすると、4600~

5750倍。

きりがないので、およそ5000倍を比較の参考指数としておこう。


さて、志賀直哉が父親と不和になった原因はお金の話。日記や草稿によれば、彼が本を自費出版

するための費用500円を父親に出して欲しいと頼んだところ、小説など書いていないで、

就職して自立しろ、と説教されて家を飛び出すことになったのだが、500円というと、

250万円になる。

事業家の父親からすると、小説本を自費出版するなど道楽であり、吉原で女郎や芸者相手の女道楽

どこがちがうのか、という認識があっただろう。そんな道楽に250万円もとんでもない、と。

その衝突の数ヶ月前に、父親は志賀直哉に、帳面を見せながら志賀家の資産がいくらあるか聞かせ

ている。

その額60万円である。5000倍すると、現在の30億円になる。大変なお金持ちなのだ。


志賀直哉は東京から尾道まで真っ直ぐ鉄道で来たのではない。鉄道や汽船も利用している。

しかし、ここでは汽車ではいくらかかるか考えてみよう。

新橋ー大阪間の旅客料金は3円70銭、これに急行2等料金をプラスして4円70銭。大阪ー

尾道間は不明なので、いまの料金比較を参考にすると、およそ6円60銭くらいか。

いまの3万3000円ほどになる。

尾道経由で四国へ行き、また尾道にもどって宝土寺上の借家に落ち着くのだが、日記によると、

11月17日に尾道停車場近くにあった郵便局に手持ちの現金50円を預けている。

25万円ほどである。


その借家の賃料はいくらか。

2円だと「暗夜行路草稿」に書いてある。かなりのあばら屋だったにしても、東京に

比べると、2円は安い。2円とは、いまの1万円である。安いよ。

ちなみに、大正8年に東京で長屋などの借家賃料は9~10円/月。4万5000円~5万円

というところ。


借家に入る前に、駅前の旅館に泊まって、コーヒーを飲んでいる。コーヒー一杯は東京で

10銭だった。尾道ではもっと安かっただろうが、10銭は500円か。これは高い。

やはりハイカラな飲み物だから、いい値段だったのだろう。


町中を歩いて、散髪をしている。丸刈りにしている。

理髪料は東京で25~30銭。1250円~1500円。現在の低料金の理髪店の値段だな。


偕楽座で芝居を観たあとで、海岸の西洋料理店でライスカレーを食べている。

東京で7銭だから、350円。これは高くない。


さてさて、新開の久保遊廓ではいくらかかったのだろうか。

大正5年の東京における遊女揚げ代が3円だったという資料がある。現代の1万5000円。

尾道では、はるかに安かった。それについては、次回に。

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