志賀直哉と尾道遊廓(11)
前回のシリーズ(10)で終了したのであるが、ブログ友達から教示があって、大正期の尾道駅の
写真に写った停車場からだった。
(10)に掲載した写真の尾道駅は昭和3年に改築された新駅舎だった。改築以前の駅舎が
この写真のものである。
主たる市内の交通手段は人力車だった時代、駅前広場には客待ちをするたくさんの人力車が
並んでいる。
その中にも明治31年の尾道駅の写真があった。
撮影地点が反対側であるが、こちらには駅舎近くに人力車と、広場に多くの大八車(荷車)写っている。
おなじ本に、平櫛資正氏手製の「大正15年頃の尾道駅前附近復元図」が収められている。いま、
その駅前部分を見てみる。
駅前広場に交番所に並んで「人力車帖場」がある。帖場を置くほど多数の人力車が駅前に集められて
は大正末年~昭和初年で、「尾道駅常駐の人力車二百台」と述べている。人力車をタクシーに置き換
ある。
旅館を確認しよう。尾道市立大学の寺杣教授の綿密な研究によって、地図右下に見えている「鶴水館」
では、大正時代のその「鶴水館」の写真はないか。
それは次回に。