志賀直哉と尾道遊廓(11)

前回のシリーズ(10)で終了したのであるが、ブログ友達から教示があって、大正期の尾道駅

写真がみつかった。志賀直哉が大正2年4月に尾道から帰京するために汽車に乗ったのは、この

写真に写った停車場からだった。

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(10)に掲載した写真の尾道駅は昭和3年に改築された新駅舎だった。改築以前の駅舎が

この写真のものである。

主たる市内の交通手段は人力車だった時代、駅前広場には客待ちをするたくさんの人力車が

並んでいる。

ここに尾道市立図書館が創立80周年記念に発行した『尾道林芙美子』という本がある。

その中にも明治31年の尾道駅の写真があった。

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撮影地点が反対側であるが、こちらには駅舎近くに人力車と、広場に多くの大八車(荷車)写っている。

おなじ本に、平櫛資正氏手製の「大正15年頃の尾道駅前附近復元図」が収められている。いま、

その駅前部分を見てみる。

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駅前広場に交番所に並んで「人力車帖場」がある。帖場を置くほど多数の人力車が駅前に集められて

いたことになる。その数はどれくらいだったか。忍甲一著『近代尾道遊廓志稿』に、尾道遊廓最盛期

は大正末年~昭和初年で、「尾道駅常駐の人力車二百台」と述べている。人力車をタクシーに置き換

えてみれば、200台はすごい台数といえる。尾道駅乗降者のすべてが尾道遊廓を往来するわけでは

あるまいが、遊廓を含めて、当時の尾道商都、商港として、いかに栄えていたかを証するもので

ある。

平櫛氏の手製地図を載せたついでに、尾道に最初にやってきた時、志賀直哉が泊まったという

旅館を確認しよう。尾道市立大学の寺杣教授の綿密な研究によって、地図右下に見えている「鶴水館」

であることが明らかになった。いまの「シネマ尾道」(旧尾道駅前松竹)あたりが、その場所とされる。

では、大正時代のその「鶴水館」の写真はないか。

それは次回に。