2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧

高麗神社の作家たち(3)

本殿の扁額である。 本殿の石段下の中庭に、この歌碑がある。 民俗学者であり作家でもあった折口信夫は、歌を詠むときは「釈迢空」の名前をつかった。 歌碑の歌は万葉仮名がつかわれているので、読みにくい。 写真をズームアップしてみると、つぎのように書…

高麗神社の作家たち(2)

高麗(こま)神社について説明をしておこう。 高麗とは朝鮮の高句麗(こうくり)のことです。 UPした写真は神門ですが、掲げられている扁額(へんがく)には、はっきりと「高句麗」と書かれています。 この神社がユニークなのは、日本人が祭神ではないこと…

高麗神社の作家たち(1)

連休さいごの5月6日、わくわく亭は女房と、高麗神社(こまじんじゃ)へお参りした。 高麗神社は埼玉県日高市にある。 連休最終日であり、時間も午後の3時半ごろで、観光客はほとんどいないのだった。 西武鉄道で飯能駅へ向かい、秩父行きに乗り換えて2つ…

『橋づくし』(9)エピローグ

わくわく亭には、まだ心残りがあるのです。 第六の橋、堺橋(または境橋)の痕跡が未発見のままだという一事です。 そこで、改めて、堺橋探索にでかけました。 銀座東から亀井橋を越えて直進すると、右手に築地本願寺を見て、築地橋の橋袂につきました。 築地…

『橋づくし』(8)備前橋

いよいよ最後の橋、備前橋である。 三島由紀夫の『橋づくし』から備前橋の説明を読もう。 さきほどから遠く望んでいた街燈のあかりが直下に照らしている。果たして橋である。 三味線の箱みたいな形のコンクリートの柱に、備前橋と誌され、その柱の頂に乏しい…

『橋づくし』(7)堺橋

4人の女たちが7つの橋めぐりをはじめ、願掛けをしていたが、すでに2人が脱落している。 残るのは料亭の娘満佐子と、彼女のお供をしてきた女中の「みな」だけとなった。 満佐子の願い事は映画俳優のRと一緒になることで、Rとは市川雷蔵のことらしい。 「…

口上

つたなきブログ『わくわく亭雑記』開設より、まるまる一年がたちました。 昨年12月には、ブログやりすぎが原因らしき突発性めまいに倒れ、入院騒ぎを引き起こすなど、 ご贔屓様にはご心配いただき、海山のご恩をこうむりました。 お陰をもちまして、本日、…

『橋づくし』(6)暁橋

第五の橋は暁橋(あかつきばし)である。 三島由紀夫の小説『橋づくし』では、この橋を次のように紹介している。 第五の暁橋の、毒々しいほど白い柱がゆくてに見えた。奇抜な形にコンクリートで築いた柱に、白い塗料が塗ってあるのである。(略) 橋を渡れば…

『橋づくし』(5)入船橋

陰暦8月15日の満月の夜、築地川に架かる7つの橋を、口をきかずにすべて渡りきると願いが叶うと、銀座の芸者2人と新橋料亭の娘と女中の、総勢4人がでかけた橋巡り。 その橋をたづねるのが、このツアーなのです。 写真は第4の橋である「入船橋」。 この…

アジサイ・ベイビー

今朝写した庭のアジサイです。 気がつけば、花芽がこんなに育っています。 花のベイビーは育ちが早いから、この姿はどんどん変化するでしょう。

『橋づくし』(4)築地橋

築地橋については、「鏑木清方の『築地川』めぐり(2)築地橋」にUPしてある写真もあわせてごらんください。 4人の女たちはそれぞれ願いごとを胸に秘めているが、 作者の三島由紀夫は3人の願い事については読者に タネ明かししてくれる。 42歳の小肥…

『橋づくし』(3)

7つの橋をめぐって願掛けをしようとでかけた、4人の顔ぶれを紹介しておきましょう。 1)小弓(こゆみ) 銀座板甚道の芸者で42歳。150センチそこそこの背丈で小肥りで、 いつもお座敷まえに夜食をたべる。 白地に黒の秋草のちぢみの浴衣を着ている。 …

『橋づくし』(2)三吉橋

わくわく亭の仕事場は、京橋2丁目の、鍛冶橋通りと昭和通りが交差した室町信号の角にあります。 昭和通り沿いに南へ150メートル歩くと、銀座1丁目です。2つ目の信号を左に入りますと、 前方200メートルのところに見えるのが三吉橋(みよしばし)です…

三島由紀夫『橋づくし』(1)

鏑木清方の画集『築地川』から、その絵に描かれた場所を特定するために、先月、わくわく亭は京橋から毎日のように築地川沿いを散策していました。 それが一段落したものですから、つぎにとりかかるのは、三島由紀夫の小説『橋づくし』に描かれた橋めぐりです…