高麗神社の作家たち(3)

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本殿の扁額である。


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本殿の石段下の中庭に、この歌碑がある。
民俗学者であり作家でもあった折口信夫は、歌を詠むときは「釈迢空」の名前をつかった。

歌碑の歌は万葉仮名がつかわれているので、読みにくい。
写真をズームアップしてみると、つぎのように書かれている。

     や万可介尓 獅子ぶえおこ流 志々笛ハ
      
                   高麗の武可志乎 思へと所 日々具
  

これを、何の苦もなく、わくわく亭の女房が読んだのには、ちょっとびっくり。
女房いわく、
「書道でかなもじを、すこしやった人なら誰でも読めます」
だって。

そこで、読みやすい漢字仮名まじりに翻訳すると、

     山かげに 獅子笛おこる しし笛は

                   高麗の昔を 思へとぞ ひびく

折口信夫は上の歌に、「4月14日しゝ舞を身に来て」と詞書きしている。

春の祭礼で獅子舞を見たと思われる。

秋の例大祭の獅子舞を見たのが、坂口安吾檀一雄の一行だったのだ。

その話こそ、本題なので、回を改めます。