『橋づくし』(9)エピローグ

わくわく亭には、まだ心残りがあるのです。

第六の橋、堺橋(または境橋)の痕跡が未発見のままだという一事です。

そこで、改めて、堺橋探索にでかけました。

銀座東から亀井橋を越えて直進すると、右手に築地本願寺を見て、築地橋の橋袂につきました。

築地橋の手前に、付近の案内板があるので、念のために見てみます。

中央に長く「築地川公園」の図が載っています。

そのとき、「堺橋親柱」の文字をみつけたのでした。

これだ!

場所は「あかつきばし(暁橋)公園」と築地川公園とがT字型に交わる地点であり、築地川公園の境界線の内側に印しがあります。

まずは聖路加病院横からのびてくる道路沿いを注意しながら探します。
それらしいものは見当たりません。

行きつ戻りつして、公園の高さ30センチほどの低い塀に、ピッタリ寄り添うように、検べます。

すると、植え込みの茂みの中に、なにか石のようなものを発見しました。
木の枝を、掻き分けてのぞき込むと、それは、わくわく亭の腰の高さほどある、コンクリート製のもので、側面に何か文字が彫ってあります。

これではないか。

いそいで公園の中に入ると、回り込んでみます。

そのものは、小さな池と公園の低い塀との間の狭い空間に、捨てられように、樹木の陰に置かれていました。

膝で這うようにして、低木の下をすすむと、そのコンクリートの石の文字を読みました。

『さかいばし』と彫ってありました。

これが、堺橋の親柱だったのです。

うれしい、みつけたぞ!

これで、三島由紀夫が昭和31年に発表した、小説『橋づくし』に描かれた7橋すべてを、52年後の平成20年に、わくわく亭が再訪したことになりました。

堺橋の親柱の写真がこれです。

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邪魔になる木の枝を、曲げて、右手で押さえ込みながら、左手だけで撮影しました。

池のそばには幾人も休憩する人影がありますが、誰一人として、わくわく亭の奇妙な行動に、注意を払うものはありません。

ましてや、わくわく亭が、この石を見つけて、どれほどの歓喜を味わっているか、誰も知りはしないのです。

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築地川から銀座東へと戻る途中、古い木造の建物をみつけました。

使用してないのではと、思いきや、いえいえ、鶏卵、鶏肉の加工、販売をしている店舗です。

一階店内ではたくさんの店員が忙しそうに立ち働いていました。

歴史ある街、築地めぐりの記念に、写真をとりました。

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