『橋づくし』(5)入船橋

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陰暦8月15日の満月の夜、築地川に架かる7つの橋を、口をきかずにすべて渡りきると願いが叶うと、銀座の芸者2人と新橋料亭の娘と女中の、総勢4人がでかけた橋巡り。

その橋をたづねるのが、このツアーなのです。

写真は第4の橋である「入船橋」。

この橋のてまえで、若い芸者のかな子が腹痛をおこして、脱落した。


恥も外聞もない恰好で駈けだしてゆき、その下駄の音があたりのビルに反響して散らばると思うと、
一台のタクシーが折よく角のところにひっそりと停まるのが眺められた。


かな子の、金持ちの中年の旦那が欲しいという願いは、水の泡と消えた。
かな子と日頃仲良しの満佐子だったが、「落伍した者」は仕方ない、と「冷酷な感情が浮かぶだけである」と冷たい。

残る3人は無事に入船橋を渡る。

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現在の橋の銘板が、三島由紀夫が小説『橋づくし』を書いた昭和31年当時と変わっている。

いまは、ごらんのとおり黒御影らしい石板に入船橋の名前が彫ってあるが、三島が見たものは次のとおりである。


船橋の名は、橋詰の低い石柱の、緑か黒か夜目にはわからね横長の鉄板に白字で読まれた。



船橋の先で、築地川は直角に右折している。



第五の橋までは大分道のりがある。広いがらんとした川ぞいのみちを、暁橋まで歩かねばならない。
右側は多く料亭である。(略)
やがて左方に、川むこうの聖路加病院の壮大な建物が見えてくる。
それは半透明の月かげに照らされて、鬱然と見えた。
頂の巨きな金の十字架があかあかと照らし出され、(略)


船橋の先で直角に曲がる築地川の跡が、この写真です。小公園としてボール投げをする市民に開放していますが、川を埋め立てて、こんな使い方をする必要が本当にあったのだろうか、と納得しにくい光景です。

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川の右側には料亭が多いと三島は書きましたが、いまはすべてビルです。
川沿いではないのですが、近くに古くから残る「歴史的建造物」として史跡に指定されそうな料亭があったので、これをUPしておきますので、三島の時代をしのんでください。

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埋め立てた川筋の上の木を植えて、公園がこしらえてあります。
その樹木ごしに、聖路加病院の「頂の巨きな金の十字架」がみえてきました。

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