絵を画く小津安二郎(2)

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『新嘉坡(シンガポール)好日』未完成のスケッチである。

小津安二郎さんが戦時中シンガポールキャセイ・ホテル最上階(11階)の部屋で
無為の日々を送っている頃、部屋の窓から見える中国人街をスケッチしたものだそうで、
未完成のまま終戦後、帰国するときに持ち帰ったものの、その後も手が加えられることなく、
小津さんの死後、「鎌倉文学館」に納められている。

瓦の一枚一枚がていねいに描かれている。往来に突き出た棹に洗濯物が干されている。
その衣類もまた一枚一枚がていねいに描かれている。

右半分は彩色されているらしい。

この絵の描き方には、小津さんの性格がうかがえて興味深い。

絵を画くときに、全体の下絵が出来てから、細部を完成していき、それから全体に色をつけていくのが
一般的だろう。

小津さんの絵をみると、右半分の屋根瓦はほぼ完成しているのに、左半分は屋根瓦の素描もまだこれからだ。窓枠や鳥居か門のような形をした描線も残されている。

つまり、全体を順序だって仕上げて行くより、画きたいと思う部分から仕上げてしまわないと気が済まない性格らしい。

そんなふうに言うのも、実は、わくわく亭がそうだったからで、中学高校の図工の時間、好きな部分に時間がとられて、未完の作品を提出することもたびたびだったことを思いだしたからである。

しかし、一コマごとに写真を撮っていく、映画作りには、そうした部分にこだわる小津さんの性格は、もってこいだったのかもしれない。

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戦地に出征した小津さんに、母のあさゑさんから、一月に一本巻紙に毛筆の手紙がとどいたそうである。

この絵を画いていた小津さんのもとにも、母からの便りが届いていたことだろう。

終戦後、帰国した小津さんは、全部で26通の母からの手紙を持ち帰った、という石坂昌三さんの前掲書から、その手紙の一部を紹介しよう。

ゆめでよく笑顔見ます。お湯に入り居る所。御飯を食して居る所なぞ毎日見ます。
                      ◇
久しくお湯にも入らないのでせう。アカ付いて夜分などねむりにくい事と思ひます。
わたしたちも一週間目くらゐにお湯に入って遠い空を思ひやって勿体なく思ひます。
                      ◇
おまへの出征の後淋しさ堪へがたく白木屋にて求め、牡丹苗木二本植ゑました。
三つつぼみが付きました。此花さく頃凱旋かと毎日毎日つぼみの大きくなるのを楽しみに朝夜ひるも
のぞいて居ます。
          我宿に凱旋ちかし牡丹さく