尾道の映画館とその盛衰(4)

昭和30年代に迎えた日本映画の黄金期。当然映画館の数は激増した。

映画館は競争に勝ち抜くためには、映画製作会社と専属契約を結んでフィルムの安定配給を必要とした。

製作会社は6社あった。東宝、松竹、大映東映、日活、そして新東宝。このうち新東宝は昭和36年

(1961)には倒産する。

映画製作会社と映画館の系列下が進んだ。この系列下から外された映画館は廃業、転業に追い込まれた。

祇園座、衆楽座、尾道劇場は系列下から外れて、消えていった映画館となる。


昭和33年9月発行の雑誌「市制60周年記念 伸びゆく観光尾道」(西日本観光新聞社)を尾道中央図

書館で見つけた。

そこに「観光尾道の新名所 千日前映画街」と銘打って4館が共同で広告を出している。

イメージ 1


イメージ 2


    東映封切館    邦画の尾道東映 久保町682

    大映封切館    大映 スバル座 久保町602

    日活・東宝封切館 興栄座     久保町600

    新東宝封切館   松栄劇場    久保町598


尾道の映画館とその盛衰(3)」でとりあげた資料『全国主要映画館便覧』では玉栄館(東映

の住所が「久保町628-1)と記されていた。どうもそれが正しいようだ。上の尾道東映住所

久保町682は誤植ではないか。なぜなら、4館は一ヶ所にかたまっているので、番地は近いはず

だからである。


昭和30年代の映画全盛期に、千日前にあった映画館は、このほかにニュース映画専門館があった。

しかしテレビが毎日のニュースを報道するようになって、まっさきにニュース専門館は廃館となった。


さて、千日前の映画館と太陽館、尾道松竹、これらでわくわく亭の記憶をきちんと埋めることは

できただろうか。

いや、まだ腑に落ちない点がある。