尾道の映画館とその盛衰(3)
尾道の映画館の歴史を、ここで整理してみる。
先ず演芸場時代の資料を見る。大正13年の尾道地図。ここに防地口の太陽館、久保の玉栄館、新開の
偕楽座、そして西御所町の尾道劇場が出ている。これらが映画常設館となる。
ネットで見つけた『全国主要映画館便覧』という資料によると、
大正後期(13~15年)における尾道の映画館は、2館とある。上記の地図と符合する。
玉栄館 久保町628-1 太陽館 久保町261
つぎにキネマ旬報社発行の『全日本映画館禄』(1957年刊)を基資料とした別のサイトには、
「昭和7年の映画館」が掲載されており、尾道については、つぎの3館が出ている。
玉栄館 太陽館 偕楽座
そして「尾道の映画館とその盛衰(1)」で書いたとおり、戦後の昭和21年には4つの映画館が
偕楽座は尾道セントラル劇場に改称されている。
また昭和和21年に新設された第一劇場は翌22年に尾道松竹となっている。
やがて昭和25年ころから準備された日本映画の黄金期が昭和30年前後に訪れるのである。
下記の10館である。
無く、古い映画ばかりやっていたからだと思う。衆楽座は尾道の西端である吉和にあったらしいが、
一度も行ったことがないばかりか、今回の調査ではじめて知った名前だった。
興栄座、松栄劇場、尾道スバル座については稿を更めて書く。
ここでは当時の太陽館の雄姿を映した写真を見ることにしよう。