尾道の映画館とその盛衰(6)

映画黄金期、全盛期が昭和30年~33年ころとして、それからわずか4年後の37年には

太陽館はスーパーに、尾道セントラル劇場は市の福祉施設に変わっている。祇園座、尾道劇場

スバル座、玉栄館などの名前は姿を消している。

残ったものといえば、久保千日前に、千日前松竹、東映、日活の3館と駅前松竹のあわせて4館のみ。

それらがいつまで映画館として存続していたのか。


昭和38年版『尾道商工名鑑』(尾道商工会議所)を尾道中央図書館で見た。

業種別の会社名が記載されているが、映画館として載っていたのは、尾道駅前松竹、これ

1館だった。『名鑑』に載っていなくても、営業していないとはいえない。

しかし、東京オリンピックを目前にしてテレビが家庭にも普及するようになっていたから、

映画館から観客の足は家庭のテレビへと向かっていた。

いつのころか、1館、また1館とパチンコ店などへと転業して行ったと想像される。


昭和59年5月に叔父の葬儀のため尾道へ帰った。

そのとき、わくわく亭の3兄弟が千日前を訪れて、その変わり果てた光景に衝撃をうけた様子を

小説「尾道のラーメン」に書いている。


 わたしたちは変貌が著しい市街のようすを見るため、つれだって出かけた。本通りをそぞろ

歩いて、めざすところはかつての映画街である。

 こんな狭い横道だったろうかと驚きながら、映画館が五つも六つも立ち並んでいた路次へと

曲がった。そこで、わたしたちは愕然として立ちすくんでしまった。

 たしかにあれから三十五年も経ってはいるが、なんという変わり果てた景色だろう。もと映画館

だった両側の建物すべてが廃屋のように閉ざされ、人の侵入を防止するためにベニヤ板を打ち付けて

ある。さらにその寂れた場所に立つものは、わたしたち三人だけだった。
 


昭和60年代に千日前は再開発されて、バー、スナックなどの飲食店街に変身、今日に至っている。

写真は最近の千日前。かつての映画街の面影はなにも無い。

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尾道最後の映画館は駅前松竹。松竹系列から離れた後は、昼はアニメ映画、夜はピンク映画

を上映したりと、B級の映画館としてかろうじて興行していたが、平成12年夏に休業、そのまま

翌13年には閉館となる。

その後を借りて平成19年からシネマ尾道が映画上映をつづけていることは前述した。

一階のパチンコ店は現在では居酒屋になっている。二階が映画館である構造は変わりがない。

写真は最近のもの。

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以前あった松竹のロゴは撤去されている。



わくわく亭の小説「寺の下の映画館」と「アイスキャンデー屋の二階」に出る映画館とは

太陽館のことである。

今は駐車場になっている。

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「アイスキャンデー屋の二階」に描いた店は太陽館から二軒目にあった。

いまは空き地になっていた。

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尾道へ行くと、わくわく亭の足は決まって、旧千日前から太陽館があった坊地口へ、そこから

南の尾道セントラル劇場があったあたりから海岸へと向かうことになる。

先日も尾道市の教育会館(元の福祉施設になっている建物の出入り口で、

「ここには以前、尾道セントラルという映画館があった場所ですよね」と

わくわく亭は中年の女性に訊いたことがある。

「知らんのですよ。だれかに聞いてきましょうか」と親切な返事だったが、

「いえ、いいんです」と頭を下げた。

映画館だったことは、もっと高齢者でなければ知らないはずなのだ。

尾道に映画館があったことは、やがて伝説になることだろう。