高麗神社の作家たち(6)
安吾のエッセイ『高麗神社の祭の笛』に神社到着のシーンがこう書かれている。
出発がおそかったので、コマ神社に到着したのは、タソガレのせまる頃であった。
社殿の下に人がむれている。
笛の音だ。太鼓の音だ。ああ、獅子が舞いみだれているではないか。なんという奇妙なことだろう。
「今日はお祭りだろうか?」
自動車を降りて、私たちは顔を見合せたのである。
社殿の下に人がむれている。
笛の音だ。太鼓の音だ。ああ、獅子が舞いみだれているではないか。なんという奇妙なことだろう。
「今日はお祭りだろうか?」
自動車を降りて、私たちは顔を見合せたのである。
安吾のわくわくとした表情が伝わってくる。
それは秋の例大祭を翌日(10月19日)に控えて最後の練習をしていたのだった。
翌日はカメラマンを加えて4人の男たちが、高麗へ、高麗からは徒歩で神社に、出直したのである。
檀一雄邸では、ご婦人方が朝からお弁当づくりに多忙である。
昨日の三人に写真の高岩君を加え、四人の大男が獅子舞い見物ピクニックとシャレこんがからだ。
お酒があるから男の大供のピクニック弁当も重たいものだ。
昨日の三人に写真の高岩君を加え、四人の大男が獅子舞い見物ピクニックとシャレこんがからだ。
お酒があるから男の大供のピクニック弁当も重たいものだ。
子供ではなく、「大供」と書く安吾のうきうきしたピクニック気分が、読んでいてもたのしくなる。
4人は社務所で弁当をひらいた。
宮司は「当社のお守りは総理大臣になるお守りだそうで…」と解説している。
檀君の長子太郎にも総理大臣のオ守りを配給したが、翌朝、太郎はカバンをひッかきまわしながら、
「モウ、オ守りをなくしたよ。それでも、大丈夫?大丈夫だねえ」
なにが大丈夫なのか知らないが、総理大臣になるコンタンでもなさそうに見えた。
「モウ、オ守りをなくしたよ。それでも、大丈夫?大丈夫だねえ」
なにが大丈夫なのか知らないが、総理大臣になるコンタンでもなさそうに見えた。
あと一回つづきます。