『フイチン再見!』

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朝日新聞で、村上もとか作『フイチン再見!』の紹介記事を読んだ。

〈伝説の女性マンガ家 波乱に満ちた上田としこの生涯を村上もとかが描く〉

どんなマンガ家だったか知らない。

知らないはずだ。彼女は1917年生まれで、マンガ家デビューしたのが1937年。

わくわく亭が生まれる前だ。

活躍したのは1950年~60年代であり、そのころわくわく亭は少女マンガなど読んだことは

なかったから、上田としこの名前も知らなかった。

〈かつては女性マンガ家そのものが存在せず、手塚治虫赤塚不二夫が少女マンガを描いていた。

そんな中、パイオニアとして道を切り開いたのが上田としこ(後にトシコ)。『龍ーRON-』や

『JINー仁ー』など重厚かつ細やかな歴史マンガで知られる村上もとかの最新作は、彼女の

生涯を描く伝記マンガだ。〉

わくわく亭は村上もとかも読んだことはなかったのだが、なぜか興味を持った。

戦前のハルピンで育った上田が、「少女クラブ」にハルピンを舞台に描いた中国人少女が活躍する

「フイチンさん」で人気を博したということ、村上もとかが戦前のハルピンや東京の町並みを

鮮やかに描いているということ。綿密な資料や関係者からの聞き取りをもとにした伝記であること。

読んでみたくなった。

発売日の2週間前にネットで予約注文した。

9月30日の発売日に本は届いた。

期待通り、面白い。

帯文はこうだ。

〈日本にまだ誰も、女の、漫画家はいなかった。村上もとかが描く、漫画の青い青い春。

上田としこという一人の素っ頓狂な少女が、戦前の満州の高く広い空に、想像の絵を思い浮かべた

時から、日本の、女の、漫画の歴史は始まったのだ。〉

まだマンガ誌に連載中だから、何巻か発行は続く。

最後まで読みたいと思う。


上田トシコさんは2008年3月に90歳で死去している。その時の朝日新聞の死亡記事が

ある。

「フイチンさん」の漫画家・上田トシコさん死去 2008年04月17日03時05分 

「フイチンさん」などの漫画家、上田トシコ(うえだ・としこ、本名上田俊子〈としこ〉)さんが、3月7日に死去していたことが分かった。90歳だった。葬儀は近親者で営まれた。 
 東京出身。旧満州中国東北部)で子供時代を過ごす。57年から62年にかけ、旧満州を舞台に、太陽のように明るい少女を描いた「フイチンさん」を雑誌「少女クラブ」で連載。少女たちの人気者となった。60年、小学館児童漫画賞を受賞。73年から雑誌「明日の友」(婦人之友社)で「あこバアチャン」の連載を始め、今年2月発売の号まで続いていた。89年には同作で日本漫画家協会優秀賞を受賞した。95年、赤塚不二夫さんやちばてつやさんら旧満州育ちの漫画家9人が思い出を絵と文でつづった「ボクの満州――漫画家たちの敗戦体験」にも作品を寄せた。