五味康祐邸の門

五味康祐といえば芥川賞を受賞した「喪神」にはじまって「柳生連也斎」「柳生武藝帳」「薄桜記

 

などの剣豪小説家として、「眠狂四郎」シリーズの柴田錬三郎と、当時の人気を二分した流行作家だ

 

った。

 

氏は昭和31年から亡くなる55年まで、練馬区大泉学園町5丁目に住んでいた。

 

わくわく亭が新座市から大泉学園4丁目に越してきたのが昭和55年だったから、まさに五味氏の

 

死去と入れ違ったことになる。

 

引っ越してきてしばらくは五味康祐邸が近くにあることを知らなかった。

 

女房がどこからか、五味邸とその邸の前の道が「五味通り」と呼ばれていることを耳にしてきた。

 

散歩の途中、わくわく亭は五味邸を見物に行った。広大な敷地を瓦を乗せた白い土塀が囲んでおり、

 

塀の上には竹林が頭を見せていた。塀の内部は伺えなかったが、黒い格子をはめた、いかめしい

 

印象の屋根付き門が、いかにも剣豪作家の旧邸らしかった。

 

あれから30数年が過ぎた。

 

四丁目と五丁目を区切るバス通り沿いの歯科クリニックに行った帰り、近年進出してきた

 

山田電気店の角を曲がって、五味通りを歩いてみた。

 

五味康祐邸は、いまはどうなっているだろうか、ちょっと気になったからだった。

 

写真は、その「五味通り」である。

 

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広壮な邸宅が並んでいるが、はて、どこに五味邸があったか、分からない。

 

十年ほど前に通ったときには、「五味」の表札がまだ掛かっていた家があった。

 

五味康祐氏の遺族が住んでいたと思うが、いまはその表札もない。

 

どうなったのか。

 

そこで五味邸の顛末について調べたくなった。

 

折も折、4月の29日に練馬区練馬文化センターで「知られざる五味康祐展」を開催していると

 

知ったから出かけてみたのである。そのことは「つつじ祭り」の記事に書いた。