『つげ義春旅日記』(7)

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新潮文庫つげ義春の『蟻地獄・枯野の宿』を読んでいたら、マンガ「枯野の宿」に登場する

客を客とも思わない常識外れの女主人は、『つげ義春旅日記』に書かれた「定義温泉」(じょうげおんせ

ん)の宿の女主人がモデルだったとわかった。

その旅は1969年8月に、結婚前の交際相手であったマキと2人東北の湯治場めぐりだった。


この温泉風景は、まことに異様である。

そもそも定義温泉とは古くから「逆上(のぼせ)引下げの湯」として知られる『精神病に特効のある

温泉だ』ということだった。

つげ義春とマキは仙台からバスで2時間かけて行った。

定義如来の門前にあるそば屋で訊ねると、『温泉は一般の人はあまり歓迎しない、予約もしないで泊まる

のはむずかしいだろう』といわれる。

日暮れではあるし、土砂降りの雨である。そば屋のおかみさんから宿へ電話で頼み込んでもらう。

「頭が重いという客」ということで予約してもらったのである。

さて、ここからつげの文章を引用してみよう。

宿は木造でかなり大きい。背後に山がせまり薄暗く陰気。

車からおりると、十人ほどの浴客が、廊下のガラス戸に額を押しつけるようにして、こちらをじっと
うかがっている。

こんな好奇な目で見られるとおかしくなる。ほんとうに頭が重いような錯覚をおこしそう。

浴客は、一見どこがおかしいのかわからない。もしかしたら正常で、こちらを珍しそうに見ているのか。

部屋にはいり、風呂に入りにいこうとすると、渡り廊下の前に、さきほどの客たちがかたまっているか

ら、気後れして部屋にもどる。

雨に濡れたせいで寒気をおぼえたから、かれらは布団をかぶろうとするが、部屋にはない。廊下のわきに

押し入れがあるので、そこから布団をもちだして引き被っていると、宿のおかみさんにすごい剣幕で

とがめられるのである。

「ひとの家の押し入れをコソコソ開けたりして、泥棒猫みたいな真似をしないでおくれ」と
お相撲さんのように大きなおかみさんは物凄い剣幕。

たかが布団のことで畳を叩かんばかりの激しさに、異様な感じを覚え、二人ともおびえる。

「謝ってすむことではない」と言われ、謝っても許してもらえないのならどうすればよいのだろう。

こういうあつかいかたが、こういう宿の客には効果的なのだろうか。

夜中、客がいないのをみすまして風呂にいく。

風呂はかなりぬるい。壁に「大小便を堅く禁ず」の貼紙。(略)

湯が膝下ほどしかないので寝そべっていると、音もなく長襦袢の女があらわれあわてる。

彼女は「このお湯飲めるわよ」と言って、飲用として桶にためてあるお湯を汲みに来たところ。

(略)

「大小便を禁ず」の掲示が真実味を増す。

上にUPした「枯野の宿」の1ページでは、宿の女主人が、布団を取りだして被っていた主人公に、

「人の家で断りもなしに使っていいものかね」と激怒している。

「ドン」と畳をたたき、

「すみませんですむことかね」としかりつける異様な情景を描いているが、

まちがいなく定義温泉での体験を使っている。