「つげ義春旅日記」(9)
短いエッセイがあるのを紹介する。
彼がなぜ観光地の温泉よりも貧乏くさい湯治場めぐりが好きなのか、高級旅館では安らげなくて、なぜ
ボロ宿が好きなのか、その心理を一考した文章である。
そういう貧しげな宿屋を見ると私はむやみに泊りたくなる。そして侘びしい部屋でセンベイ蒲団に細々 とくるまっていると、自分がいかにも零落して、世の中から見捨てられたような心持ちになり、 なんともいえぬ安らぎを覚える。
彼は世間、社会と向き合うことが下手というより、生理的に向き合えない性格だと考えている。
日常がうっとうしく息苦しい。そんな自分自身から解放されたくて、旅に出る。
そんな自分から脱がれるため旅に出、訳も解らぬまま、つかの間の安息が得られるボロ宿に 惹かれていったが、それは、自分から解放されるには「自己否定」しかないことを 漠然と感じていたからではないかと思える。 貧しげな宿屋で、自分を零落者に擬そうとしていたのは、自分をどうしようもない落ちこぼれ、 ダメな人間として否定しようといていたのかもしれない。
彼の性格を形成したものは幼少期から身辺にあった貧困だった。家庭の不幸だった。
外界ははいつも彼をいじめて、追いつめようとした。
外界ははいつも彼をいじめて、追いつめようとした。
貧困から抜け出そうとしてマンガを描きながら、それがまた彼を追いつめていた。
自分の内側で堂々巡りをする日常から脱出するために、旅を発見した。
そして、旅が出来る余裕はできたものの、それはいつわりの余裕であるという不安は潜在意識に
ある。生きるということにつきまとう不安が消えるときは、落ちきった底のような、そこより
下がありえないような場所に横たわるときである。
それが「ボロ宿」だったのだろう。
1967年10月、彼は東北地方の湯治場をめぐる旅をして、「オンドル小屋」「もっきり屋の少女」
「二岐渓谷」などのつげ義春らしい作風の三篇を翌68年に発表したが、その旅について、
『貧困旅行記』に付した「旅年譜」に、彼はつぎのような興味深いメモをつけている。
(写真はつげが撮影した蒸ノ湯の湯治宿)
八幡平の蒸ノ湯(ふけのゆ)で馬小屋のようにみすぼらしい宿舎に泊り、乞食の境涯に落ちぶれた ような、世の中から見捨てられたような気持ちになり、奥深い安心感を覚えた。 このとき以来ボロ宿に惹かれるようになったが、それが自己否定に通底し、 自己からの解放を意味するものであることはずっと後年まで理解が及ばなかった。 (略) 鶴沼川の懸崖に、家畜小屋のように惨めな家屋が5,6戸かたまって雨に濡れているのをバスの 窓から見て、そのボロ家に抱きつき頬ずりし、家の前のぬかるみに転げ回りたい衝動をおぼえた。
何故このような激しい衝動にかられたのか解らない、と彼はいうが、いつわりの生活の余裕を
投げ捨てて,すべてをなげうって、もはや失うもののない、失う不安のない、
こころの平安の中に抱かれたいという切実なつげ義春の声だったのだ。