柳原白蓮

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今日の夕刊に、日本橋高島屋で開催中の「柳原白蓮展」の記事があった。

記事の見出しは「愛を貫いた柳原白蓮の人生」である。

わくわく亭は白蓮について詳しいのではないが、3年前に『鹿児島おはらまつり』という

小説を書いたことがあり、北薩の大口市曾木の滝にある白蓮の歌碑についてふれたことから、

「情熱の歌人」白蓮についてすこし勉強したことがある。


白蓮は柳原伯爵と愛人のあいだにできた娘で、16になると北小路家にとつぎ男の子を産みながら離婚。

つぎには25歳上の筑豊の炭鉱王伊藤伝右衛門と再婚させられる。伊藤の金を目当てにした政略結婚に

白蓮は伯爵家に利用されたのだった。

東京から福岡へ嫁いできた最初から、家庭内別居のつめたい夫婦生活だった。

白蓮は別邸を文化サロンのようにして文化人を招き、自らをなぐさめながら九州各地を旅行してくらし

た。

そんな時、サロンの客としてあらわれた宮崎龍介と運命的な出遭いをする。

やがて伊藤の家を出て龍介と駆け落ち。

白蓮は35歳。龍介は28歳だった。

龍介は東京帝大出の秀才で、父親が宮崎滔天。父親の影響から革命的なロマンチストであり、

孫文を支援していたから、白蓮からみれば、かっこいいインテリに見えたはず。

かれらが失踪したのが大正5年。

いろいろあって、離婚が成立して、白蓮は龍介と添い遂げる。

白蓮は昭和40数年まで長生きをした。

白蓮が龍介を思ってうたった歌がある。


     君ゆけばゆきし淋しさ君あれば ある淋しさに追われるこころ


ところで、「月が出た出た月が出た/ヨイヨイ/三池炭鉱の上に出た~」と歌う炭鉱節は

知っていても、白蓮をうたった歌詞があることを知らない人は多いだろう。

それを、お聞かせしよう。


     伯爵夫人になるよりも

     ヨイヨイ

     月のさしこむあばらやで

     主さんお庭でわら仕事

     わたしゃおそばで針仕事

     サノヨイヨイ