『つげ義春旅日記』(5)

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つげ義春の「颯爽旅日記」の中の「城崎温泉」編のために描かれた挿絵である。

この紀行文は愉快な文章になって、つげ義春にとっても楽しい旅行だったらしい。

雑誌『太陽』から依頼されて城崎温泉の探訪記を書くための旅行だったから、費用は雑誌編集もちだった。

1975年9月の旅行だった。

単独旅行ではなくて、編集のAさん、写真担当のWさん、それから作家の田中小実昌(たなかこみまさ)さんが同行した。

大手雑誌主催ともなると、列車はグリーン席だし、弁当を買ってくれるし、いいことずくめなのに、
慣れないせいか緊張して、人前では弁当が食べられない。

京都から山陰線に移って空いているから、みんなが気侭に席を移ってから、こっそり一人で弁当を食べるところなどは、神経質なつげらしさだ。

さて、UPした画像を見ながら文章を読むと、一段と面白い。

城崎には度々来ている小説家の田中小実昌さんは、テレビ出演もしていたから顔が知られており、観光客から声がかかる。なじみの「たこ長」という呑み屋に一人で入ってしまう。

あとの3人は「三面鏡ヌード」小屋をのぞいてみる。

上の絵に「たこ長」と「湯の町ヌード」という看板が見えているが、おそらくそれであろう。

つぎに4人は「狸御殿」というキャバレーに入るが、つげは酒が飲めないので、料理を
「アーン」してと言って、食べさせてくれるホステスが面倒くさくなり、彼は眠ったふりをする。

ホステスたちは、温泉芸者のアルバイトだった。

勘定は編集のAさんの受け持ちだったが、つげが飲んだコーラ1本が6000円について、みんなびっくりする。とんだボッタクリの店だった。

翌晩、彼らの宿に「狸御殿」で知り合った温泉芸者3人が押しかけてくる。三味線代わりにテープレコーダーをもってきて大音量で曲を鳴らす。

田中さんの滅茶苦茶な騒ぎ振りには唖然となる。

けれど、これほど徹底していると痛快。

疲れてロビーに逃げていると、(略)鬼瓦のような顔をした芸者さんが、(仲間)ケンカして
帰って行った。

飲み直しにまた「狸御殿」へ。

上にUPした絵を、ここでもう一度眺めながら、つぎの文を読むと、どれが誰だかわかってくる。

店を出て歩きながら、田中さんが(芸者の)雅喜さんに抱きつきふざけているのを見て、
ぼくも浮かれ抱きついてみせる。

雅喜さんの襟足にキッスまでしたのはのりすぎか。

田中さんは圭子さんを連れてどこかへ飲みに行ってしまったので、三人で雅喜さんを置屋まで送る。

雅喜さんと腕を組んで歩き、いい気持ちになる。

宿に戻る途中、田中さんが道にころがっていた。

翌日は雨。駅まで雅喜さんと圭子さんが送ってくれた。

絵の中で先頭を歩いている芸者が「雅喜さん」らしい。

その後を歩く浴衣を着た3人の男たちが、AさんとWさん、そしてつげ義春自身だろう。

前から3人目の口にタバコをくわえた男がつげ義春らしい。

赤いシャツを着て、かれらの後からやってくる両手を広げて踊っているような、

酔っぱらい男が田中小実昌さんらしい。

つるつるのはげ頭といい、顔もよく似せて描かれている。よろよろしているらしいが、

この後で、道路にころがってしまうのだろう。(笑)

つげ義春が、この城崎温泉紀行を書いた数年後、1979年に田中小実昌直木賞を受賞している。