『無能の人』つげ義春

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 つげ義春の『無能の人』について、きょうはとっくり語ってみよう。そとには、めずらしく秋めいた小雨がふっているし、気温が20度を下回って膝掛けをしながらブログを打っているから、しんみり切ない「つげ義春」の「乞食論」を考えてみるのに恰好の夜になりそうだ。


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 何百、いや何千人といるマンガ作家はいても、そのなかで、つげ義春は異色である。彼の作風に近いものを描いたマンガ作家はいない。

 明治から現代までの日本文学史に名前を残した、これまた数百人の作家たちの中で、マンガ界におけるつげ義春の存在に近い作家の例をあげるとすれば、それは葛西善蔵だろう。

 善蔵は不遇で不幸な実生活を、真実ありのままを書くことが文学のすべてであると信じた、いわゆる日本的な「私小説」作家の典型だった。
 ありのままをかくのだから、貧窮、女性関係、家族、仲間、嫉妬、憎悪、失望…書けば書くほど回りの人間を巻き込んで傷つけるから孤独になって、作家自身もさらに苦しむことになり、苦しむさまを次の作品に書く…その循環。それが芸術的人生だと信じていた善蔵。

 一定の評価と読者はいたが、多作しないから収入は少なく、ぎりぎりの生活をつづけ、貧窮のうちに死んだ。

 つげは、きっと葛西善蔵を愛読したにちがいない。

 日本文芸社刊『無能の人』に収録された1987年のインタビュー記事の中で、つげは次のように語っている。

 《自分っていう人間が、世の中にうまく適合していなくて生きにくいんですよね。生きにくいから、
  なんかこうもっと生きやすい方法があるんじゃないかって、そういうところから読書にいってる
  ところがあるんですよね》

 つげは、自分のような、社会に不適合な者が生きられる生活の見本を、小説の中に探そうとしていた。
なかでも私小説は作家の生き方を露わに書いているから、それが自分に合う生き方にみえたら見本にして、見本のように生きればいいんだと考えた。

 《私小説作家って貧乏とか病気とか、家庭内のいろいろな悪いことを書いているわけで、
  そういうのって自分にとってリアリティーがあるんですよ。金持ちのこと書かれたって全然
  リアリティーがなくてね》

 《もう私小説以外読めなくなってくるんですね。私小説作家って一種の社会から脱落した
  はみだし者のかんじがするんですね。そうすると、自分にもそういう素質というか要素が
  あるもんだから、なんとなくピタッと合ってしまうところがあってね》

 つげは葛西善蔵の名前はあげていないが、彼が語っている作家の特徴から、どうみてもそれは善蔵だったろう。少なくとも耽読した幾人かの私小説作家の中に善蔵はいたはずである。

 善蔵は、その生き方を自分の芸術の一部分だと確信していたから、サイドビジネスをしようとは思いもしなかった。

 つげ義春と善蔵との違いは、つげにとってマンガ家という職業は、他にもっと生活しやすい職業がみつかれば、転業してもいいという相対的なものだったという点である。

 つげのマンガは『ねじ式』や『ゲンセンカン主人』などのシュールな作風が「芸術的」と評価されるようになると、大衆マンガ誌から原稿依頼が極端に少なくなって、マンガでは生活が困難になる。

 それはそうだろう、文学でも純文学作家は生活不能者となっている現状だ、ましてサブカルチャーであるマンガ家は「芸術家」となっては生活が成り立たない。

 もともと寡作のつげは年に数本しか描いていない。つねに生活の不安につきまとわれていた。

 上のインタビューで彼は言う。

 《だからしょっ中、商売のこと考えています。いずれは商売したいと思ってきましたから。
  いちばん現実的に考えたのは古本屋ですけどね。13年ほど前だけど喫茶店をやろうとしたことが
  あって、荻窪の駅前にすごく安い貸店舗があって…》

 彼は2ヶ月半、その店舗に住み込んで喫茶店をやったものの、結局は閉店に追い込まれる。


 彼は1937年、東京生まれで、今年70歳。小学校卒業するとメッキ工場につとめたものの、幼少時からの対人恐怖症が禍して、すぐに失業する。他人と共同作業しなくてすむ職業として、マンガ家を志し、18歳で貸本マンガのプロデビューをした。

 マンガ家を職業とした当初の動機が、一人でできる仕事、という点にあったことは見落とせない。

 しかし、生活苦から売血までしつつ、ついに25歳のとき自殺未遂をおこす。

 不安神経症、というものが以来ずっと彼につきまとった。それもまた、生活苦が原因をなしていた。

 どこまでも、つげの苦悩の最大原因は生活苦だった。

 生活苦から逃れるすべはないか。乞食僧のように世をすてていきるか。生きているか、生きていないか、わからなくなって、
《ボロくずのようになれば、意識も混濁して死のおそれもなくなるんじゃあないかと》
 
 彼はそのインタビュー記事を「乞食論」と名付けるのである。

 ここまで書いてくれば、『無能の人』はつげの「私小説」ならぬ「私漫画」もしくは、きわめて
私的な「心象風景」であるとわかってくる。


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 『無能の人』は1985年6月から、日本文芸社発行の季刊誌「COMICばく」に、6回の連作として発表されたもので、1991年に同社から単行本として発行された。

 僕が所有しているものは1991年10月発行のものであるが、その「単行本のためのあとがき」に、作者は現況をこう記している。

 《現在私は失業状態で毎日ぶらぶらしている。すっかり無能の人になってしまい、とてもらくだ。
  そのせいか、持病の神経症も軽くなってきたように思える。
 (略)それにしても、発病もせず現在の世の中に、しっかり適応している人を見ると、
  不思議に思えてならない。
                  昭和63(1988)年3月》

 この『無能の人』のあとに「別離」(1987)という作品があるらしい。僕は目にしていないのだが、自殺未遂事件を描いたもので、それをさいごに新作の発表はなくなった。

 消息通によれば、つげ義春は「マンガを描くことに興味がなくなってきた」とも「年金支給がはじまったら隠居する」と発言していたということだから、まいにちぶらぶら散歩して余生を送っているのだろう。

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 さて、そうなると『無用の人』はつげ義春の最後の連作集ということになりそうだ。

 この作品では、つげ義春作品のもつ特徴である厭世的な、あるいは虚無的な、陰性の色合いが強く出ている。

 しかし彼には別の特徴として、抒情的なもの、ほのぼのとした人情、たぐいまれなユーモア感覚、飄々とした洒脱な味といった陽性な色合いをもつ作品も多く、僕がつげ義春に惹かれた最初は、むしろそうした作風のものだった。

 「李さん一家」「紅い花」「もっきり屋の少女」などは彼の『ガロ』時代の陽性な作風をもった傑作である。
 「もっきり屋」と「紅い花」に登場する、おかっぱ頭の少女のういういしさは、作者がいだいていた
愛する女のイメージだったろう。

 やがて、女はエロチックに描きながら、ときに醜悪に、グロテスクに描くようになる。

 女性イメージが極端な変化をしてゆく。
ねじ式」「ゲンセンカン主人」などがそうで、その時代の作品が「シュール」で「芸術的」ともてはやされるようになったが、僕は好きではなかった。

 その作風が行き着く先など、およそ想像がついた。

 僕は作者の過敏すぎる脳神経の繊維が、これではとうていもつまい、と見ていた。
 痛々しい思いがしていた。

 たちまち、一時的なつげブームは去って、読者離れがすすみ、作者に仕事の依頼が減って生活が行き詰まる。

 それらを「マンガは芸術になった」と持ち上げていた評論家たちは、マンガの読者をご存じないのだ。
 エンターテインメントを求めている大多数の読者に「芸術」の押し売りなど、もってのほかだった。

 つげは抒情的な作風へと回帰をを試みた作品がある。季刊「COMICばく」に、発表した1984年ごろのものである。

 それらは日本文芸社から『隣の女』(1991)として出版された。
 もちろん、僕わくわく亭は所蔵している。
 佳作ぞろいである。近日、ブログで紹介しよう。


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 さて、主題の『無能の人』である。

 主人公はマンガ家であるが、執筆依頼が減っていることと、マンガへの情熱も失いつつあって、
 マンガ以外の職業をさがしている。

 つげ義春自身に内面的にきわめて近い主人公である。

 新聞配達をしている妻と、ぜんそく持ちのような虚弱な男の子との貧乏生活である。

 6つの連作として描かれている。

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 「石を売る」「無能の人」「探石行く」3編のあらすじを簡単に紹介する。

  多摩川の河原で拾った石を、掘っ立て小屋で売る商売をはじめる。

  競輪場が近くにあるため、その開催日には人出がある。
  その人出をあてこんで、露天がぱらぱら出てくるので、すこしながら商売仲間もできる。

  愛石家のためのオークションにも出品するが、まるで相手にされない。
  ささやかな妻と子との採石旅行も、わびしいばかりで、妻は「マンガを描いて」と
  言うのだが、やはり多摩川の小屋で日を送っている。

             ☆
 「カメラを売る」

  偶然知り合った古道具屋で中古カメラを、激安で買う。主人公は器用に修理してしまう。

  雑誌で中古カメラの愛好者がいること。そうしたカメラに高い値がついて売買されていることを
  知る。
  つぎつぎ仲間になった古物商をまわって、只同然の安値で買って、それを修理して売る。
  いっとき儲かるのだが、すぐに仕入れるべき中古品のタネがつきてしまい、売るものがなくなる。
  カメラ屋を開業する夢は、はかなく消える。

             ☆

 「鳥師」

  和鳥の愛好家に、丹精して育てたメジロなどを売っている鳥屋と知り合う。

  彼から鳥を呼び寄せて素手で捕鳥する伝説的な漂泊者のことを聞く。
  まるで乞食のなりをしてゴミをひらい食いしている男が、鳥を呼び寄せる奇跡のような能力がある。
  その生き方に主人公はあこがれる。

  鳥師はついに鳥になったのか?という幻想をする。
       
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 「蒸発」

  あやしげな古本屋から聞いた流浪の俳人井上井月の話。のたれ死にした俳人に共感して、
  社会生活から蒸発してしまうことを考える主人公の耳に俳人の辞世の句がきこえている。

  そして、きょうも多摩川の河原で、石を並べている。


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 『無用の人』は1991年、竹中直人監督、主演で映画化された。

 僕はその映画を見ていない。映画化して成功したのだろうか。

                              【9月30日了】