『つげ義春旅日記』(2)
『つげ義春とぼく』が初出であるが、その東北地方の温泉めぐりをしたのは、1967年の秋だった。
1937年生まれであるから、つげは30歳になっていた。
人付き合いが苦手で、少年のころから赤面癖に悩み、中年になってもノイローゼ、不安神経症に
苦しみつづけていたつげ義春にとって、たとえ単独のきままな旅だといえども、緊張から解放
されてはいなかったようである。
しかし収穫もあった。
この旅行は初めての一人旅ということで、かなり緊張し興奮していたのを覚えている。 メモからは読みとれないが、張りつめた気持ちでの旅の印象は強く心にやきつくもののようで、 この旅のあと「二岐渓谷」「オンドル小屋」「もっきり屋の少女」の三本のマンガを描くことが できた。 「二岐渓谷」と「オンドル小屋」は、旅に出る前におおまかな構想があったが、 話をもっともらしくするため、実在する場所をつかいたいと思っていたので、この旅はさいわいした。 「もっきり屋の少女」は、発想はこの旅に関係ないが、このメモ帳に何気なくつけておいた会津の方言が役立った。
マンガ「二岐渓谷」は雑誌『ガロ』の1968年2月号に掲載された。
右ページの上のコマにあるナレーションはつぎの通りである。
二岐渓谷の上流には鄙びた湯治場があり、五軒の宿屋が崖にしがみつくように点在している。 ほかに自炊客相手の小さな食品店があるだけの、たったそれだけの寂しいところである。
下のコマで、つげ義春らしき旅人が食品店主と言葉を交わしている。
「このあたりで一番貧しそうな宿はどこですかね」
「そうですの。渓底の爺さん婆さんの小屋ですろ…」
左のコマで、旅人はワラ屋根の小屋を見ながら、
「なるほど貧しそうだな。ぼくの好みにぴったりだ」といっている。
『颯爽旅日記』にはつぎのようなメモを書いている。
メモとマンガを対比してみると面白い。
11月1日。 湯本から歩いて二岐温泉へ登る。渓谷に面して五軒の宿があり、いずれも自炊可。 湯ノ小屋旅館が最も貧しそうなので泊る。 爺さん婆さん二人で経営し、11月から4月までは休業し、湯本へひき上げてしまうそう だ。
を生みだしていることがわかって興味深い。
(3)へつづく