吾妻ひでお『夜の帳の中で』
わくわく亭は期待はずれだったという書評を書いている。
その作品はギャグマンガ作家として「ギャグ」に行き詰まって、ついには失踪してしまい
ホームレスとして生活をしていた期間を「私小説」のようなマンガ作品に描いたものだった。
『夜の帳の中で』は1980~84年ころの売れっ子だった時代の美少女ギャグマンガを集成し、
それに「失踪日記外伝 街を歩く」(98)を収録している。
作品数は30ほどあって、作者30~34歳ころの作品群なのだが、読むうちに、こちらまで
息苦しくなってくるのは、作者がマンネリと言われないために、自分を追い込み、煮詰めながら、
あらたなギャグ作品をめざして苦吟しているありさまが伝わってくるためである。
そして、結果は幻想的な(あるいは妄想的な)叙情性を帯びた佳作もあることはあるが、
総体的にはマンネリ感がぬぐえないロリコン作品や、退屈な幻覚風の凡作が少なくない。
作者が恐れていたマンネリに傾斜しているのである。
「あとがき」にギャグマンガは繰り返しが許されないから、アイディアがつきると追い詰められて
下手したら自殺してしまう、と言っている。「もっと早く転向していれば良かった。この
作品集のように描けば画けるんだから。ハッキリ言ってシリアスは楽です。バカでも描けます」
といいつつ、この作品群のあとで何回か失踪して、作品を描かなくなっているわけだ。
とてもマジメで、マンガに誠実に取り組む作家なのだ。だからこそ、追い込まれて苦しみの
階段をのぼる作風になって行く。
わくわく亭が漫画批評のバイブルにしている『漫画の時間』で、筆者のいしかわじゅんは
「夜の魚」「陽射し」などを含めた作品を描いている吾妻ひでおについて、
神経をむき出しにしたまま寒風に向かうような、自己破壊の衝動にも似たものだったろう。 どれだけ自分を傷つけ、壊してゆけるかを、彼が自分自身で試していたように、彼の 描いたものを読みながら、ぼくはずっと感じていた。
マンガ作家もつらい仕事である。
つげ義春ばかりではない。
この『夜の帳の中で』の中で、わくわく亭が一番好きな作品は「鎖」(84年8月)である。