『隣の女』つげ義春

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 つげ義春さんの1980年代の作風は、きわめて「私小説」風になりました。

 これから紹介しようとしている短編集『隣の女』(日本文芸社 1991年発行)には1981~85年に発表した6つの作品が収められていますが、どれも自伝的な色彩が濃いものです。

 つげさんが耽読していた私小説群の影響をつよく受けたと思われるスタイルです。

 中の一篇「近所の光景」(1981年発表)では、梶井基次郎の代表作『檸檬(れもん)』の一節を引用しながら、主人公が暮らしている陋巷の説明文にしています。

 梶井をはじめとして、つげさんが読んでいた小説とは、ほとんどが「私小説」だったというか、「私小説しか読めなかった」という自身の述懐がありました。

 私小説を読むつげさんは、マンガ創作に於いても、実生活で体験してきたこと、生活の周辺に見てきたこと、そうした現実に密着した物語にしか、創作意欲は湧かなかったのでしょう。

 空想をたくましくして、現実から遠く遊離した少年マンガなど、つげさんには、とても描けなくなっていました。

          ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 『隣の女』に収められた6つの作品を、かんたんに紹介します。


 「隣の女」

   “アンポ?なんです、それ”というセリフがでてくるから、第一次安保闘争があった昭和34~
   35年が時代背景になっている。
   主人公は貸本マンガの作家ながら、アパートの家賃も払えぬビンボーくらし。
   バイトのつもりで、闇米運搬の手伝いをする。隣のアパートの出戻りの女と関係ができるが、
   闇米の親方にうばわれて、女は親方の2号になる。ところが親方は警察にパクられ、女は
   麻袋加工所の男と再婚。
   主人公は、いまバイトで、その作業場ではたらいている。
   出戻りのミヨちゃんが、セックスのためなら相手かまわずの尻軽なのに、かわいい女に
   描かれていて、まだ高度経済成長期以前の、貧しかった時代の生活が、やさしく回想されている。

    だが、昭和34,35年にまだ闇米屋がそんなに横行していたか?時代考証がおかしくないか
   な。


 「散歩の日々」

   マンガ家なのに、マンガの仕事が入ってこない。ポケットには300円しかない。
   その300円も使うのが惜しくて、何ヶ月ももっている。
   することが無いから、アパート近くをひたすら散歩する毎日。
   ある日、神社の境内で石投げの素人バクチにひっかり、大事な300円をとられてしまう。
   そんなとき町内の祭りがある。町内の古本屋が、ボランティアで焼きそばの露天を出すのを
   手伝う。マンガ家の女房と息子までが手伝って、久しぶりの笑い声。
   みんなが踊りに出たあとで、マンガ家は売上から金をくすねる。
   300円。


 「少年」

   つげ義春さんは小学校卒業すると町のメッキ工場で働いた経験がある。
   それを素材に描いた作品。
   下町のメッキ工場で働く少年の夢はマンガ家になって、転職すること。投稿したマンガが
   雑誌に載るが、両親はよろこんでもくれない。父は義理の仲で、大嫌い。
   喜んでくれたのは本屋の店員の少女だけなのに、彼女は本屋のオヤジの情婦になる。
   クソっ、と少年はネズミをメッキの毒液につけて、殺して、うさばらし。
   貧しかった日本の下町風景である。


 「ある無名作家」

   つげ義春さんが白土三平水木しげるのプロダクションでアシスタントをしていた時代の
   話。自分の絵を描くことをやめて、売れている他人のマンガの絵を描くことの苦しさが
   モチーフ。それに耐えきれず、身を持ち崩していった先輩マンガ家の悲惨な人生を描いて
   いる。つげらしい主人公は“生活のためだから、我慢できる”と割り切った顔をしているが、
   実際には彼も苦しんだだろう。その作家としての良心の苦しみを、不遇な先輩作家の悲惨な
   姿に投影した作品におもわれる。

   つげさんが極貧の生活苦に苛まれていた時代、彼は何年もアパート家賃を滞納していたために、
   部屋を追い出され、アパートの便所の中に布団を持ちこんで住まわされた、つらいつらい屈辱
   の期間があった。ある資料では、かなりの長期間としているが、この作品の中では、その
   便所空間の生活期間を2年半としている。
   いかになんでも、便所で2年半も。そんな恥辱も堪え忍ばねば、路上生活するしかなかったのだ。
   それを救ってくれたのが某プロダクションの先輩だった、上記のマンガ家だった。
   だから、物語の中で、主人公は当時受けた恩を、けっして忘れていない。深い同情をもって、
   先輩の破滅的な生活を描いている。


 「近所の景色」

   これもまた、散歩するしかすることのないマンガ家が主人公。
   多摩川のほとりに戦後から不法に居住をしてきた古びた集落があった。
   いま住民は立ち退きを迫られている。釣りの名人である李さんとマンガ家は親しくしている。
   李さんに同情して立ち退き反対の会合に出て、(会合といっても、数人が寄って酒を酌み交わす
   ささやかな集まり)“はんたい”と声をあげたりして、妻にたしなめられている。
   李さんの自慢は川で釣ってきて、育てている大きな「雷魚」である。
   多摩川洪水が来る。李さんたちの集落も被災して、立ち退いてしまう。
   残ったのは、李さんの雷魚だけだった。

   あの多摩川大洪水は昭和何年だっけ?
   
   今調べてみた。作品に描かれた洪水は、昭和49(1974)年台風16号がもたらした
   風水害だった。つげ義春さんが37歳のときだ。
   堤防が決壊し、最大の被害のあったのが狛江市だった。
   民家の流出が19棟、浸水した住宅1270戸。


 「池袋百店会」

   有名PR誌「銀座百店」のまねをして「池袋百店」を出そうとした、社会の底辺で生活に
   喘いでいる男達のものがたり。
   結局は失敗で、集金人は金をもって夜逃げするし、小説家志望の男は
   詐欺の張本人呼ばわりされ、ついに実家がある甲府の御坂峠に逃げ帰ってしまう。
   彼の愛人は喫茶店で働く福ちゃんで、ちょっといい女。主人公のマンガ家も傍惚れしている。
   福ちゃんが御坂峠の男を追いかけて行きたがるのを、お人好しのマンガ家は一緒に行く。
   実は男には妻があり、立派な家があった。福ちゃんはだまされていたのだ。
   二人は昇仙峡にいって、観光馬車にのる。
   はじめて福ちゃんが泣く。気のいいマンガ家が「福ちゃん、泣くな」となぐさめる。


  以上の6編。どれをとっても、社会の弱者への、つげ義春のやさしいまなざしがある好篇である。


          ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 「散歩の日々」にしろ「近所の景色」にしろ、つげマンガの人物は金のかからない趣味、暇つぶしに、
しきりと散歩をしている。

 散歩について、つげさんは「乞食論」というインタビュー記事の中で、彼の「散歩学」なるものを語っていて面白い。

 当時は調布のちかくに住んでいたんでしょう。散歩の範囲は狛江、和泉多摩川、喜多見など小田急
沿線だった。まだ都会らしくない郊外風だったから。
 家から遠くまで行くときには自転車に乗っている。自転車ででかけて途中で便意をもよおしたら、どうするんです、という記者の質問に、
 「途中で大便をもよおす散歩家は失格だね」と答えているのも、可笑しい。

 「仕事が切れたりすると、どうしても人生半分降ろされちゃった気持ちになるんです。そうすると、
なにも急ぐ必要はないんだって、ゆったりってほどじゃないけれど、わりと散歩が楽しめるんですね。
 でも散歩って考えてみると、いろいろムズカシイ問題をはらんでいるような気がしますね(笑)」

 「散歩を本業にして、散歩家になろうかと思ってね……散歩ってジャンルを確立しようかと思って
(笑)」
 
 もちろんジョークだが、つげ義春さんの口から話されると、彼なら「散歩家」という職業を
はじめたかもしれないな、と思わせます。

 ああ、70歳になったつげさん、元気で散歩しながら、長生きしてくださいよ。

 いまは、ほんものの「散歩家」になったのかもしれないですね。

 これ、わくわく亭が送るエールであります。