比丘尼(びくに)

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 木室卯雲(きむろぼううん)の『鹿の子餅』から、わくわく亭が好きな小咄を3つやりましょう。

 先の「あまらぬ」の貧乏浪人の続編のような話です。なんでも空威張りするサムライの見栄っ張りを
笑いのタネにしたものです。



       《大石》(たいせき)

   裏店(うらだな)へ引っ越してきた浪人、世帯道具はさっぱりなく、ひとつヘッツイと飯たく
  ほうろく一つばかり。
   見舞いに来る者へ、何もないをきつい味噌(何もないのを、大層自慢する)。

  「惣体(そうたい)、武士たるもの、衣類諸道具持たぬものでござる。つね自由過ぎると、
  さあ軍(いくさ)というたとき、身が倦(う)んで困る。
   そこで我らはなにも持たぬです」

  「それはきこえましたが、この上がり口の大石は、踏み石とも見えませぬ。
  何でござります?」

  「それか。それは寒いとき持ち上げるのじゃ」


 イヤ、あっぱれな武士道精神。寒いときに持ち上げて、身体を暖める大石をもっているとは。

 つぎは、また雪隠(トイレ)の話ですが、今も昔もトイレの話は、小咄のネタになりやすいと見えます。この話は現在も落語につかわれています。そうか、原作は卯雲先生だったのか、というわけ。


 
       《借雪隠》(かしせっちん)

   不忍弁天(しのばずべんてん)の開帳、参詣群衆。
   この島はむざと(むやみと)小便のならぬ不自由。
   そこを見込んで、茶屋の裏をかり、かし雪隠。(有料トイレをはじめる)
   
   わけて女中がたの用が足り、一人前五文づつときわめ、おびただしい銭もうけ。

   「これよい思いつき、おれも借雪隠」と地面の相談。

   女房異見して、「もはや一軒出来たあと、いま建てたとて、はやらぬは見えてある。
   ひらに止しにさっしゃれ」と言えども聞かず。

   建てた日からの大入り。いままではやった隣の雪隠へは行く人一人もなく、こっちばかりの
   繁昌。

   女房不審し、「どうして、こっちばかりへ人が来ます」と聞けば、
   亭主高慢鼻にあらわれ、
   「なんと見たか。あれはそのはず。隣の雪隠へは、一日おれが入っている」

 
 イヤ、こちらはあっぱれな武士道精神ではなく、あっぱれなビジネスマインドです。
 現代の夏の海水浴場にも有料トイレはあるけれど、そこまでのビジネスマインドは見たこと無いね。
 ところで、表題の「借雪隠」は「貸雪隠」が正しいのじゃないかと気になったかも知れませんが、
 さにあらず。「借」の漢字は「かす」とも訓むのです。


  つぎの《比丘尼》という話は、武家の卯雲先生らしい文人的で粋なおもむきのある咄。人を呼ぶときの敬称のつけかたをテーマにしたおかしさ。
  なんとも、わくわく亭はこれが好きなのです。

 ちょっと予備知識:  
  話に出てくる足軽(あしがる)とは、武家につかえる雑役夫であり、戦になると雑兵として働いた 最下級の武士のこと。

  比丘尼(びくに)とは、本来は20歳以上の出家した女僧のことですが、古い時代、髪を下ろして
 尼僧の姿をしながら売春をしながら旅をしていた女たちがおり比丘尼と呼ばれていました。
 江戸時代には“コスプレ”ではないが尼僧姿の娼婦を置いた店があって、彼女たちも比丘尼と呼ばれていたのです。本物の尼さんだったかどうか、わくわく亭は知らないのですが。


      《比丘尼

   「足軽の心やわらぐ前句付け」
   その前句より、比丘尼には目が細うなって、菖蒲革染(しょうぶがわぞめ=足軽がはいた革袴)
   をすぐに脱ぎかえ、ぬっと二階へあがり、待てどくらせど敵(あいかたの女)の来ぬに
   退屈し、呼ばんとせしが、名を聞かねば、名もよばれず。
   びくに様とはいんぎんなり、びくに殿ではかたし。
   坊主あたまからおもいつき、二階より覗いて、
   「はよう来たまえ、びくに老」

 笑えなかった人には、老婆心で解説するか。
 比丘尼は頭を丸めているから、お坊さんなわけです。坊さんは、高僧ともなれば老人だから、
 ○○老、と敬称をつけたりする。
 それで、無知な足軽は若い尼さんを「びくに老」と二階から呼んだという御粗末。

  「早う来たまえ、びくに老」、いや、なんとなく、僕わくわく亭はおかしくなるんだよ。