原節子の台詞「ずるいんです」

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日本画「海路」作:柏谷明美



今朝の朝日新聞「be on Saturday」はまたしても尾道と「東京物語」特集だった。

この記事を読みながら、監督小津安二郎尾道との出会いは、なんというしあわせだったろう、と

今更ながらに思う。

今となってみると、「東京物語」の主人公である老夫婦の家は、日本の中の、尾道以外のどの町を

もってしても置き換えることはできない。老夫婦が話す言葉は、尾道弁でなければならない。

それほどまでに、「東京物語」と尾道は深く結びついてしまった。

東京物語」という映画が日本の名画として後世に伝えられて行く限り、尾道という町の

記憶もまた伝えられて行く。


今朝の特集記事のポイントのひとつは、映画のラストで原節子がいう台詞「ずるいんです」の

意味についてである。

原の夫は義父笠智衆の次男で戦死している。夫の死後も再婚しないで、一人暮らしをしている。

義母の東山千栄子尾道で急死して、葬儀があり、それから家族がそれぞれの生活の場所に

戻っていったあと、原と義父だけになった時の会話。

義父は死んだ息子のことなどは忘れて、お嫁にいくようにと言う。

原は自分を買いかぶらないでくれ、いつも夫のことばかり考えているわけじゃない、忘れている

日もあるといい、

「あたくし、そんなおっしゃるほどのいい人間じゃありません」という。

「いやぁ、そんなこたあない」

「いいえ、そうなんです。あたくし、猾いんです」

この「猾いんです」と3度いった原節子の気持ちについて、いくつかの説が紹介されている。

ひとつは、「東京物語」の助監督をつとめた高橋治氏が『絢爛たる影絵』の中で述べた説。

『恐らく女の性がこれほど美しく映画で語られた例は稀だろう。類ない優しさの裏で、いつ

奔馬のように走り出すかも知れない欲望の手綱を辛くも押さえている女を、原は小津の期待

通りに演じて見せた』

戦後日本に何百万人という数で残された、戦争未亡人のひとりとして、若く健康な肉体が

内包する欲望を原節子が美しく演じたというのである。

『小津好み』の著者中野翠さんは、高橋説には反対。

「あの場面を若い戦争未亡人の性の悶えとして見るのは、あまりにも話をせせこましく

小さくするものではないか?」

この特集記事を書いている河谷史夫氏は『全国小津安二郎ネットワーク』の会で小津監督の

義妹ハマさんに会ったときに、

『酔っぱらって、知ったかぶりで、あの会話には「性的な意味」があると言ったとたん、

ハマさんに「そんなものありはしません」とぴしゃり否定されてしまった』

そうである。

脚本家の山田太一氏は、あの会話場面をシナリオの「瑕瑾」だと長い間思っていたそうだ。

名作にもどこかに「瑕瑾」はあるか。

ところがある日、小津の軍服姿を写真で見たとき、

「ただ亡夫を忘れかけていることを『ずるい』といったのではなかった。

8年前まで戦争でおびただしい数の日本人が死んだことを、半ば忘れかけている自分を

『ずるい』といったのだった」と解釈するようになったという。


映画のあの場面、一日一日が何事もなく過ぎてゆくのがとてもさびしく、どこか心の

隅で何かを待っている、そういう自分が「ずるい」と吐露する原節子に、笠智衆

こう応えている。

「ええんじゃよ、それで――やっぱりあんはええひとじゃよ、正直で……」


台詞の中には、人間の様々な思いや感情が重なり合っているから、どれが正しくて、どれが

正しくないとはいいきれない。どれもがあっておかしくはない。



わくわく亭は「あたくし、ずるいんです」を次のように解釈している。

死んだ人間には生きる明日がない。生きる彼女には生きる明日が、毎朝訪れる。

生きろ、生きろと、毎朝時間がやってくる。

それを受け取って生きようとしている自分が、亡夫の持ち得ない時間へと出て行こうと

している自分が、夫に申し訳ないと思いつつ、生きようとしているから、

なんといったらいいか、そう「ずるいんです、あたくし」と言った。

笠智衆は、そうとも、生きなさい。人は生きていくものです。

そういっていると解釈するのです。


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