「ありがとう」

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 朝、ポストに新聞をとりにいって、コリウスの鉢に小さなバッタがとまっていたので

写真をとった。

 妻によると、コリウスは細い茎がのびて小さな花が咲くのだが、そうすると

葉がダメになるので、葉を茂らせるために、花の茎は切ってしまうのだそうだ。

 花より葉の色を楽しむのだと。

 葉に傷みが見える。寒さに敏感で、冬を越させるのが難しいのだそうだ。




 藤木明子さんの詩集『どこにいるのですか』のつづきです。

   【藤木明子詩集 2005年6月 編集工房ノア発行 ISBN4-8971-592-1】


 詩人は町一番の知性と美貌を誇ったというお母さんを96歳でなくしてから、

あまりに自尊心の高かった母への愛憎アンビバレントな心象を、美しい言葉に結晶させている。

 そして、詩人みずからにも近づいてくる、その“時”を見据えながら、人生は楽しかった

からと詩にする「ありがとう」という言葉。

 わくわく亭が、詩人にどうしても「あなたをハグします」と伝えたくなってしまう、

そんな作品を2篇紹介します。


          
               〈どこにいるのですか〉

             カスタネットを打つように

             下駄をならして渡っていった

             待ってください かあさん

             立ち竦んでいる私に構わず

             こちらから あちらへ

             引き返すことのできない場所

             いいのですか

             かあさん それで

             五歳の私を置いてきぼりにして

             橋の向こうから

             夜がじわじわとおおいかぶさってくる

             裾を蹴り 前のめりに急ぐ

             かあさんがもう見えない

             きっと おそろしい所へ行ったのでしょう

             つないでいた手が冷たく濡れていましたから

             何もいわずに行ってしまった

             かあさん どこにいるのですか

             私は今でも五歳のままです


 お笑いください。海千山千の、わくわく亭が「私は今でも五歳のままです」を読むとき、

どうしても涙ぐんでしまうのです。

 それから、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のジョバンニを思い出しています。



               〈ありがとう〉

            光の粒がおだやかに降りそそぐ朝

            ひとりで食べつくすにはたっぷりすぎる

            花の種を蒔き 球根を植えるのは

            めぐりくる春を想像するからだが

            めぐりくる春に花だけが咲いていてもいい

            書棚の本と数点の古鉢や皿

            十数冊のアルバムと咲いた花

            主なき家にそれらはとても似合いそうな気がする

            こんな日は

            お気に入りの場所に座りこんでタイムスリップ

            小手をかざしながら

            時間のへりをさかのぼっていく

            不思議なことに現れるのは

            金太郎飴のようにいつも口を開けている顔ばかりで

            私の人生ってこんなに楽しかったんだ

            こちらからあちらへと垣根はゆるやかにほどけ

            自足は蜜のにおいがする

            死んでいるのか 眠っているのか

            そんな時

            ひとりでにくちびるが動いてしまう

            ありふれたフレーズだけど


 きょうは、日本中が秋の高気圧におおわれて、いいお日和です。

 詩人は、いつものお気に入りの場所で、「ありふれたフレーズ」を詠っていることでしょう。

 「ありがとう」と。

 また、お会いしたいと、わくわく亭は考えています。