歌集「ためらう女」

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藤木明子さんから歌集「ためらう女」を戴いた。

藤木さんは詩人として承知していたので、すこし意外の感を受けたのだが、

いつぞや「もう詩集は出しません」というお便りがあって、それではどちらへ

転進なさるのだろうか、と考えたことがあった。すぐれたエッセイをお書きになるので

その方向に専心なさるのか、もしや小説をお書きになるのかな、と。

そのとき、短歌をなさっているとは知らなかった。



藤木さんとはおよそ10年ほど前に、姫路市の文化大賞の授賞式でご一緒して以来、

文通はあるのだが再会の機会がなかった。

7月17日に龍野に行ったとき、あるいは「酩酊船」の会でお目にかかれるのではないかと

期待していた。藤木さんは龍野にお住まいだからであり、「酩酊船」の竹内さんとも

交流なさっているからだった。

しかし、ご都合がつかず出席にはならなかった。



ところが、龍野から戻ったその週に、この歌集が届いたのである。

すぐに読んだ。

わくわく亭好みの短歌がたくさんあった。

礼状と感想を書き送った。

すぐれた詩人は、またすぐれた歌人でもある。



歌集の作者名が「小岩りの」となっているが、それは藤木さんを愛し、つよい影響を

与えた祖母の名前なのだ。祖母へ捧げる歌集とするために、祖母の名前を、みずからの

歌人の名前に使ったということなのだ。


このブログでは2007年10月に彼女の詩集「どこにいるのですか」を紹介しているが、

あの詩作品のイメージが短歌のおちこちにあって、連続性を感じます。

丸っこいクラシックな短歌とはちがい、直線的な、幾何学的な表現を駆使した

短詩の印象がある歌集です。


数首紹介することにします。

 夜話果てて雪くるにおい一匹の目刺しが膳に残っているぞ

雪もようになりそうな空気のにおいと、食膳に残った目刺しのにおいが刺激的で、

荒々しい雰囲気が面白い。


 抱きたきししむら薄きみほとけは徐々に熟れ来て千年のエロス

古代仏のエロスをうたうのは、この作者が得意とするイメージである。


 藍色のトカゲ縁よりはたと落つ嬰児の午後の夢より出でて

夢と現実のあわいの映像に、「はたと落つ」という“音”が生きている印象的な歌。


 黒豆を鍋いっぱいに炊きあげ虚しき夜の広さを喞(かこ)つ

一人暮らしの老女が、正月の用意にと黒豆を煮る。その生活のにおいが

孤独な夜の広さをあぶり出す。


 やちまたに集い散る人あたたかき泥のようなる体臭が好き

人間の、労働する男たちの体臭が好きだという、官能的ともいえる作者らしい力強い一首。


 犬だけが僕の家族だ犬だけを愛して死んだ男の妻です

アイロニーのよく利いた僕が好きな一首。


 感情にピリオド打てぬおぼろ月今夜も少しの飯もて余す

 昨日 今日 明日の呪縛は脱ぎすてて時計の螺子はしっかりと巻く

老いてなお感情を制御できないのが人であり、またそれを克服しようと姿勢を正すのも

人である。


 血刀のような椿を衿に挿し懶惰の午はあまりに長し

矜持を失わない老女の姿勢の美しさ。


 河明かりしか見えないが河を渡ってくる母に手紙を書く

詩集「どこにいるのですか」に描かれた亡くなった母親。

龍野の揖保川だろうか、河明かりする水上を、死んだ母が渡ってくるという。

その母に手紙を書こうとする女の複雑な心情。


さいごに、あと一首。

風変わりな歌がありました。

 オオタカのペリット分解せし少年奇妙なる骨見つけしと告ぐ

これは、わくわく亭の小説「ペリット」を読んだ人にしか意味は分かりません。

ペリットとは、オオタカなど鳥類が消化できない胃の中身を吐いたもので、

それを拾ってきて、水に溶かしながら、何を食べているかしらべるのが好きな

オオタカ・ウォッチャーの少年を主人公に描いたのです。

その小説は今秋出版予定の『尾道物語姉妹編 十八歳の旅日記』に収録予定です。


藤木明子さんの「ためらう女」は、下記にお問い合わせください。

出版社:編集工房ノア 

    TEL:06-6373-3641

    FAX:06-6373-3642

定価:本体2000円+税