尾道駅前国際マーケット(2)
テレビドキュメンタリー『市民戦争』は、尾道市役所のまだ新しい庁舎屋上で、市長と思われる
人物が男性の市役所員多数に向かって、「いよいよ強制執行の強行は明日18日であります。全職員は
職場を離れて、過去15年間の駅前不法占拠問題を解決する強制執行に全力を尽くして欲しい」
うんぬんと「檄を飛ば」すシーンから始まる。
その職員の中に、まだ若い土木課勤務の「サコタ」さんがいる。
彼は仕事とはいえども、「市と市民がまるで戦争のようにぶつかりあう代執行はやりにくい」、と
正直な気持ちをテレビカメラにもらす。その言葉の中から「市民戦争」というタイトルが選ばれた
と観るものに伝えられる。
昭和36年(1961)に落成した尾道の新庁舎屋上で「檄」をとばしていた市長は、昭和38年
に就任した第21代市長松谷勝氏ということになる。昭和40年の強制執行は松谷市長の任期中の
できごとだからである。
市長が「15年間の不法占拠」というのは、戦後駅前に出現した闇市を、GHQの命令として昭和
21年9月に撤去させるときに、昭和24年3月末まで暫定的に駅前桟橋東の市道を占用させること
を認めたが、その期限から数えて15年と言っているのだ。
しかし、その暫定期間というのは、わずかに2年6ヶ月である。指定の場所にバラックで店舗兼住居
を建て直し、そこで食品をはじめ生活用品販売や飲食業をはじめて日常生活をするようになった住民
にとって、2年半は短すぎる。だが、その期限を超えて市道を占用するから、市としては「不法占拠」
と呼んで、代々の市長は立ち退きを迫ってきた。
(写真は国際マーケットの表と裏。ドキュメンタリー『市民戦争』から)
市はまた31年に住民の占用許可条件を改めて、「居住者が代替地が必要な場合、市は代替地を提供
するが、有償である」こと。占用地を「市が公用に供するため立ち退き通告をした場合、居住者の
費用をもって、その建物を撤去し、道路を原状に復して市に返還するもの」とした。
このへんの経緯は山陽日日新聞社発行の『戦後の足跡』を参考にした。
ということは、居住者は一銭の補償もなく立ち退くことを迫られ、建物撤去の費用は請求される
ことになる。
それで、住民は「死ねということか」「これが日本か」「これが日本の法律か」と叫んで抵抗した。
居住者の中の、ある夫婦をテレビカメラが紹介する。
その夫婦の、とくに妻の表情や言動が、国際マーケット居住者の代表としてテレビカメラが捉えて
ゆく。当然、市側の代表としては、上記の土木課の「サコタ」さんをカメラが追う。
こうして『市民戦争』は強制執行の朝を迎える。
ナレーション(ナレーターは今は亡き小松方正氏である)
それを取り囲んだ市の職員は300人、その背後に警察機動隊300人が配備された、と
ナレーターが言う。
なんというものものしさ。