短編{かれらの風貌」(11の8)

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人間同様、長寿の犬に認知症の症状がでてきてもふしぎではないのだろうが、ラッキーの眼の中にも、

顔の表情にも痴呆めいたものは影もないから、にわかには信じがたい思いがあった。

 処方された鎮痛剤をのませると、むやみに吠えることだけはなくなった。

頸椎の損傷からきた痛みがあったのだと、それで分かった。つらかったことだろう。

痛みを訴えることもなく、いつものように散歩コースを歩いていたわけだ。

気がつかないで、悪かった。

 やがて、腰が抜けたようになり、歩行はおろか起っていることさえできなくなった。
  
 玄関内にゴムマットを敷き、その上にバスタオルを敷いてやって、ラッキーの寝床にした。

チビにしてやったように、ラッキーにもパンツ式の紙オムツをはかせた。

紙オムツは母が残していったもので、大量にあった。

 脚腰が起たなくなっても、じっとしてなどいない。

両の前脚だけで起き上がろうもがきまわす。

前脚でもがくと、横にのびたからだは内側にぐるぐる回ることになる。

前足の爪が、後ろ脚に届いて、ひっかき傷をつける。

いくつも生傷ができて出血している。爪を短く切り、ちいさなソックスをはかせて輪ゴムをはめてやる。

ソックスはたちまち脱げ落ちてしまう。

脱げれば、またはかせてやるしかない。

 後脚につけられた生傷は消毒して傷薬をつけ、包帯をしてやる。

包帯の数は四つとか、五つになる。それも一時間もたず、はずれてしまう。

根気よく巻き直してやるしかない。

 日に幾度となくマットの上に敷いてあるバスタオルを交換する。

オムツをしてあるとはいっても、排尿すればタオルは汚れるからだ。

ラッキーのからだも当然汚れる。

水で拭いてやらねばならないし、汚れがひどいときには、風呂場に抱えていってシャワーで洗ってやる。

 そうした作業はほとんどが妻の仕事になった。


                  ―(9)へつづく―