短編{かれらの風貌」(11の7)
(3)
前章を書き終えた時点で、『かれらの風貌』は脱稿のつもりでいた。
ところがその後でラッキーが死んだ。とうとうわが家の飼い犬はみんないなくなった。
ラッキーのことも書いておいてやらねば公平を欠くだろうからと、この章を書き足すことにした。
オッキー、チビ、ラッキーと三年連続して飼い犬が死んだのかと思ったが、それは勘違いで、
チビの死の翌年に死んだのは私の母だった。
ラッキーの死はそのつぎの年だった。
彼もまた十六歳になろうという高齢犬だった。
ラッキーはオッキーとチビの息子だった。
彼は生後まもなく他家にもらわれていった。
他家というのがわが家の向かいの弁護士さん宅だった。
一人娘の中学生がいて、うちに産まれた子犬を欲しがり、ぜひにと乞われてもらわれていったのである。
ラッキーと命名したのはその中学生だった。
ところが向かいの庭から、こちらの玄関口にある母犬の犬舎が見えるものだから、
母犬の姿が見えるたびに子犬はやかましく鳴き立てた。
庭で子犬をつなぐ場所を変えるたり、屋内で飼うことにしてみるとか、
いろいろ工夫をしてみたものの、どれもうまくはこばなかった。
そのうち、娘は子犬に飽きてきたらしい。
ついには、わが家に戻したいとの申し出があった。
わずか二ヶ月ほどで養子縁組は解消され、ラッキーは実家に出戻りとなったのだ。
わが家の玄関さきには三個の犬舎が並ぶことになった。
彼らのうえにも平穏で無常な歳月が流れていって、老犬となったオッキーとチビが死んだ。
「チビが死んだことを、お母さんに話してないの。去年オッキーが死んで、
「チビが死んだことを、お母さんに話してないの。去年オッキーが死んで、
今年チビが死んだと聞いたら、お母さんだってショックでしょ。自分が九十歳になって、
こんなに長く生きるとは思いもしなかった、長生きしすぎたみたいだ、あとどれくらいかしらね、
なんていってるけど、余計なことを考えさせたくないから」
妻の意見に従って、チビの死んだことは母にはふせてあった。
めったに外出をしなくなっていたから、玄関外にある犬舎の二つがからっぽであることに、
母は気がつきもしなかった。
「このごろ、ワンちゃんの声がしないね」
たまに母がそういうときには、私たちは「そうかな」などとあいまいな返答をしていた。
チビの死の翌年に、胸部動脈瘤の破裂によって母が亡くなった。
そのまた翌年、母の一周忌と新盆をすませた夏の終わりのころに、ラッキーが死んだのだった。
はじめは後脚の急な衰弱だった。
腰をもたげてやらないと自力では起き上がれなくなった。
それと平行して、わけもなく吠えるようになったのもおかしく思えたから、
バス停前にある犬猫病院で診てもらった。
レントゲンの結果頸椎に損傷があることが分かった。
後脚が起たなくなったのはそのためだそうで、老犬であるし手術はせず薬剤投与で
ようすをみようという診断だった。
「理由もなく吠えるのもボケの症状なんだって」
病院につれていってきた息子の報告だった。
「勝手口にまわってきて、いつまでも吠えているから、どうかしたのかとのぞいてみたら、
自分でからだを反転させて戻ることができないものだから吠えていたんだ。
バックできなくなったのは後ろ脚のせいもあるだろうけど、ボケはじめるとそうなるんだって」
「自分の犬小屋にはいると、くるっと回ってくることができず、奥を向いたままで、
どうしようもなくて吠えまくっていたのも、それだったんだな」
―(8)へつづく―