短編「かれらの風貌」(11の6)
そんな状態が十日間つづいた。土曜日の夜だった。
息子が二階から下りてくると、居間にいた私と妻にいった。
「チビがおかしいよ」
チビは臨終のときをむかえていた。
タオルにつつまれて横になり、口を大きくあけて弱々しい呼吸をしていた。
吸い口で彼女の開いた口の中に水をいれてやっても、外に流れ出るばかりである。
「心臓が止まったみたい」
息子はチビの胸の上に手をあてがっていた。
その後で、チビのからだは首を伸ばすように、けいれんした。
それが臨終のサインだった。
私たち三人はチビのまわりに跪いて、彼女のなきがらを撫でさすった。
「おまえは、いい子だった。よくうちに来てくれた。ありがとう」
そういいつつ、胸にこみあげるものがあり、私の眼がぬれてきた。
日曜日は保健所が休みなので、月曜の朝まで、息子が買ってきたドライアイスで
チビのからだを包んで保冷した。
オッキーのときと同じ方法で、ダンボール箱にタオルにくるんだチビをおさめると、
隙間にドライアイスを詰めた。
首輪をのせ、ドッグフードの袋と花を入れてやった。
そうして、保健所からの迎えの車を待った。
箱の中で横になったチビの顔は、オッキーのによく似ていた。
生命が抜けたあとの顔はよく似ている。
それが死の相貌というものなのだろう。
チビの温かで愛らしいかった表情こそが生命というもので、ゆたかな個性があった。
いまそれが喪われたあとに、みごとな覚悟の痕だけがのこされている。
―(7)へつづく―