短編「かれらの風貌」(11の5)

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 オス犬のオッキーが死んだ翌年にはメス犬のチビが死んだ。

八月末の猛暑の時分だった。

 彼女はシェルティーの雑種で、下の息子が貰ってきてから十五年になったから、

オッキー同様に人間の年齢でいえば八十代の老婆だったろう。

 名前のチビは、貰われてきたとき、正式名を考えるまでの仮の名として、

とりあえず妻が呼んだ呼び名がそのままになったもので、極め付きの平凡な名前となった。

 シェルティーは人なつっこくて、飼い主には忠実というか、

べったりとでもいうほどの親愛をみせる犬種で、繊細、ナイーブな性質を持つといわれている。

 チビはメスだけに、そうした性質がよけいにきわだっていた。

眼の表情やしぐさにみせる親愛の情は、ときにはコケティッシュでさえあった。

高齢であるのに、その最期のときまで、彼女の容色に衰えはなかった。

 彼女は成犬になってすぐ、オッキーとの間に三匹の子犬を産んでいる。

一匹は死産で、彼女はわれわれが気づいたときには死んだ子犬を食べてしまっていた。

母犬の本能によって、そうやって死産したものは片づけてしまうのだろう。

一匹は貰われていき、一匹が残った。

 チビにとって、たった一度のオッキーとの性体験と出産は彼女の生涯で唯一重大な出来事だった。

あとは何事もなく平穏な、人間であれば退屈だったに違いない生涯だった。

 五月ごろから歩くのを億劫がるようになった。

七月になると、腰を持ち上げてやらないと、自分では起って歩くことをしなくなった。

やがて、散歩につれ出しても、すぐ腰くだけの状態になり、抱えて帰ることもあった。

 八月に入ってからは、水分以外の食べ物は一切とらなくなった。

妻が流動食やスープにしたものをつくって、口のそばまでもっていくと、

ペロリと一回だけ舌でなめるゼスチャーはしても、そのまま静かに横を向いてしまう。

もはやまったく腰は立たなくなっていた。

 チビの異常を知って息子が帰って来た。

彼はチビのからだを浴室で洗ってやってから、二階の自分の部屋に移してやった。

床にバスタオルをぶ厚くたたんで敷き、その上にのせてやると、チビは前脚、後脚をのばして、

完全な腹這いになった。

彼女の下半身に、九十歳になる私の母のために大量に買ってあったパンツ式の紙オムツをはかせた。

 はじめ嫌がった紙オムツであるが、二日もすると慣れたらしく、

腹這ったままでオムツの中に排尿するようになった。
 
めったなことでは吠えたり鳴いたりしない犬だったが、ときおり、さも悲しげな声をあげたのは、

排尿のときらしかった。

排尿のときに、からだのどこかが痛んだのかもしれなかった。

 人間においても、名僧高僧といわれた僧侶たちは自分の死ぬ日を予知して、

その幾日か前から食を断ち、最期のときの備えをなし、従容として入寂したといわれている。

 四肢を伸ばして、カエル泳ぎの姿勢で動かないチビを見ていると、まるで死を受け容れ、

従容とそのときを待っている覚者のようである。

 チビはまぶたは閉じていても、かならずしも眠っているのではないらしい。

またしずかな呼吸をしているから、眠っているのかと正面を向いた顔をのぞいてみると、

眼はひらかれている。

ただ、その眼はのぞきこむ私を認めていない。

どこか別のところを見ているようである。

 苦しげに荒い呼吸をしているときがある。

 水をいれた平鉢を近づけてやると、いくども連続して舌で水をのむ。

 ハッ、ハッ、と舌を出して息をする。

 部屋が暑いのか、チビの体温が高いのだろうか。

 エアコンの設定温度を下げる。
 
「あと、数日かな」私は息子にいう。

「そうだね」

「死期が迫っているとわかってるだろうが、チビは立派だな」


「そうだね」

 息子はチビの下あごを濡らしたタオルでふいてやる。

なにかでよごれているらしい。

彼はいつものように言葉少ない。


                ―(6)へつづく―