短編「かれらの風貌」(11の3)

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 私の記憶の隅に、別のオス犬の姿がある。

保健所に雇われた犬捕りにつかまって連れ去られていくナチの姿だった。

長い棒の先端についた金属の輪で、首をひっかけられて捕獲されたのだった。

犬捕りはボロの衣服を着た大男であり、蓬髪の下には垢で汚れた黒い仁王のような顔があった。 

 中学生だった私は学校からの帰りだった。

すぐそこの路地の奥が自宅だという国鉄の線路沿いの道まで戻ったところで、

捕縛された罪人のように引っ張っていかれる哀れなナチを目撃したのだった。

 家にいるはずの母にナチの大事を注進するため、私は裏の路地へと駆け込んだ。

「おかあちゃん、ナチが犬捕りに捕まった。すぐ行って、取り戻さにゃあ」

「ああ、知っとるよ」

 まったく意外な母の反応だった。ナチの受難を知っていながら、

どうして犬捕りの手から取り返しに走ろうともせず、家に座っているのだろう。

「ナチは年寄りで、口の中に歯は一本も残っとらなんだ。もう長うないんよ。

さっき、路地を出たところで、犬捕りに捕まったんは分かっとったんじゃ。ナチが鳴いたしね。

犬捕りから戻してもらうには、お金が要るんよ。あの人らは、それが目当てで仕事しとるんじゃけえね。

それなら、ナチには可哀想じゃけど、あのままにしとこう思うてね」

 母の顔の表情にあらわれているものの意味は、私にも解った。だったら、仕方のないことだ。

「もう二度と、犬は飼わんよ」

 母はその夜、私たち子ども三人に、自分の判断の了解をもとめてから、そう言った。

 ナチは拾い犬で、拾い主であった父が命名した。ドイツのナチ党から取ったのではない。

熊野那智大社あるいは那智の滝からとった名前だった。

拾ってきたときは、すでに生後一年以上にはなっていただろう。

 拾い主の父をのぞいて、他の誰にも従わない犬だった。

とくに子どもの私たちを馬鹿にして、撫でてやろうと側に行きかけると、

眼は閉じたままでいても、ウウー、と低くうなって威嚇した。

怖くて触れなかった。

 人にはかみつくし、オス犬とみれば相手が大型犬であれおかまいなしにケンカして、

からだに生傷の絶え間がないし、メス犬とみれば遠くまでも遠征していどむ。

獰悪な性格で、周りからの苦情が絶えない犬だった。

 大阪に住む父と瀬戸内の町にすむ私たちが絶縁状態になってからは、

ナチの味方はいなくなり、母の同情は別としても、子どもの私たちからは嫌われものになっていた。

 私たちに見捨てられ、犬捕りに捕獲道具で引っ立てられていったナチのあわれな姿は私の記憶の隅

にあって、その後ずっと、息子がオッキーを拾ってくるまで、

犬を飼うことを思いつきもしなかったのには、意識していなかったが、

あの事件が無関係ではなかったのかも知れない。

 あれから五十年が過ぎた。そして今また、オッキーが見つからなかったとしても仕方ないことだと、

私は考えているわけだ。


                  ―(4)へつづく―